July 23, 2008

梅田ロフトで美濃手漉き和紙を販売中!

 先日、大阪梅田ロフトに、私が商品ディレクターをしている家田紙工の美濃手漉き和紙の新シリーズ「a piece of natural paper」を中心とした1/100ブランドグッスの数々を納品に行ってきました。
 これが完成した展示風景。。

Dsc02334   今回は、梅田ロフトでのはじめての家田紙工グッズの企画展示で、しかも場所がロフトの正面玄関口から入ってすぐのとっても目立つ場所!

  夏らしい季節もののコーナーということで、、私と、4月から新しく家田紙工の社員になった小里さんというニューフェイスと共に行ってきました。

  梅田ロフトさんとは、2月のギフトショーで文具担当の小山さんという方にはじめてお会いして、意気投合(私が勝手にそう思ってるかな?)し、今回、小山さんが気を利かせてくださって、1階フロアーの担当者である柏木さんという方に話をしてくださり、この夏の企画として実現しましたhappy02

 この美濃透かし手漉き和紙シリーズは、とにかく私の思い入れがたくさん、たくさんつまった商材です。一昨年の冬から企画をしはじめ、丁寧に作り込んできたものです。

 今はそれぞれ別の道を歩んでいる家田紙工の2名の女性スタッフとのチームでプロジェクトを組み、「ひたすらオーガニックにこだわった」「インテリアにも利用できる」「捨てる所の無い」「ここにしかない」「おしゃれな」「布のように使える」和紙グッズを作る事。。。

 たくさんの紆余曲折を経て出来上がり、以前も家田紙工のブログで書きましたが、昨年のニューヨークギフトフェアで世界デビュー(?)し、そののち、2月の東京ギフトショーで国内初デビューを果たしました。

 でも、本当はその前に、RARI YOSHIO  さんの東京の個展などでの発表が先だったのですが、ここでも有り難い事に大好評で(南青山スパイラルでは完売したそうです)、、でも、大
阪は初デビュー。。。

 今回の「a piece of natural paper」シリーズには、作家の宇津木哲子さんの新シリーズ「in the forest」も加わりました!

 そのほか、1/100ブランドを立ち上げた時、一番コラボレーションした、宮田香里さんの和紙便箋、ノートなどのステーショナリーや、デザイナーの羽良多平吉さんやフォトグラファーの四宮孝仁さんの手漉き和紙行灯などのさまざまな和紙グッズとともにお目見えですが、果たして、大阪のお客様に受け入れていただけるかどうか、どきどきです。(大阪の皆さん!ぜひ、よろしくお願いします〜)

 展示替えは、夜6時頃から(まだ、お店が開いている中)はじまり、私たちは8時すぎまでお手伝いして一路、岐阜に戻りました。

 そのあとは、担当の柏木課長さんが、しっかり仕上げてくださいましたhappy01

 みなさん、大阪にお立寄の際は、ぜひ、梅田ロフトに足を運んでください。8月中旬頃まで展示販売しています〜。

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July 06, 2008

変わらない自分!

 一昨日、高校時代の同級生の馬渕裕嘉志君に20年以上ぶりに再会し、約2時間、さまざまな話をした。

 こんなふうにじっくり話をしたのは、、多分、高校卒業以来だろう。
 高校卒業といっても、馬渕君と同じクラスだったのは高校2年の頃で、3年の前期、一緒に生徒会役員をやって岐阜北高校の改革をしようなんて話し合っていた記憶があるけれど、その後はほとんど話をしなかった。
 17歳からほとんど話をしていないとうことは、、、なんと30年ぶりの対話、、ということになる。

 ちなみに、おおよそ20年振りの再会、、というのは、20年以上前、私が名古屋の中日スポーツの記者の仕事をしていた頃、偶然「くるみ」というそれはそれは美味しいお好み焼きやさんのカウンターで偶然隣り合ったことがあるからだ。

 カウンターの隣りでなんだか聞き覚えのある声がすると思ったら馬渕君だった。その時は互いに連れがいたので、挨拶程度で話はほとんどしなかったと思う。

 彼の話し方は昔から独特で(いわゆる演説調)、高校時代は、将来は総理大臣になってこの国を変えると、言っていた。

 その頃、彼は中部電力の社員だった。末は中電の社長になるのではと言われていたものの、中電の社内ベンチャー第一号の社長になってそのビジネスを成功させ、結果、独立して今は、住分野に関するコンサルタント会社のCEOだとのこと。
 彼の現在のプロフィールなどはここをご覧下さい。

 ところで、、昨日、われわれがどんな話をしたのかは、有り難い事に彼が自分のブログで書いてくれたのでこちらを読んで頂くとして、私は30年ぶりにあった馬渕君の表情がとっても温和になっていた事に驚いた。話し方もとってもソフトになっていて、大人になるってこういうことなんだと思った。もちろん、良い意味でだ。

 馬渕君は、高校時代は眼鏡をかけていてその眼鏡の向こうでいつも確固たる信念の炎をめらめらと燃やしているような眼差しをしていた。当時、彼は、1970年代最後の日本の、なんとなくバブルに向かい浮き足立っていく社会や、「しらけ世代」と呼ばれた同世代の若者に苛立っていたのではと思う。

 私はその頃、左翼の友人と、右翼の友人と、ノンボリと、哲学と、詩情と、音楽と、演劇と、受験と、そして見かけだけの抵抗の中にいた。

 どんなに抵抗しようとしても、私たちの思想はまだまだ脆弱で、内実は、自分たちがとっても飼いならされた存在だってことに気づいてもいた。

 そんな中で、馬渕君は60年代安保の人みたいにひとりで抵抗していた。
 彼は、学生運動の人みたいな特徴的な「文字」を書いていた。

 私は私で、バスケット部に属しながら、「ビックリハウス」を読み、松岡正剛さんが作ってた「遊」を読み、「mc sister」にあこがれ、青い恋愛をし、勉強もそっちのけで古本屋に入り浸り、本ばかり読んでいた。
 そして北高の同級生たちと、いろいろな思想や感情がごっちゃになった「エビゾリズム」というフリーペーパーをつくっていた。

 手のひらを青く染めながらボールペン原紙に文字を書き連ね、自分を含めたみんなの思いをひたすら文字にした。馬渕くんや私が幼い頃から通っていた「道場」の輪転機で藁半紙に印刷し、一枚一枚ホッチキスで綴じていった。

 今、こうして書いているとその当時の思い出が蘇ってくる。

 でも、何故か、昨日の私と馬渕君は、まるで30年のブランクが嘘のように互いの「今」と、来る「未来」を語り合った。

 過去ではなく、今、そして未来。

 それは互いが、ずっとそういう人生を選択して歩き続けているからかもしれない。

 私たちは、幼き頃、この国の未来を真剣に想い、世界の平和や、愛や、感謝の大切さを当たり前とし、そのための奉仕を当たり前とするある少し特殊な環境の中にいた。

 私たちは世界は人の想念が創り上げていることを知っていた。

 そんな子供だった私たちが、子供時代に摺り込まれたもろもろの理想と現実との格闘を経て、30年後に出会って対話したこと。対話できたこと。

 馬渕君の目つきや話し方が変わったことは、この30年間という年月とのさまざまな格闘の成果だろう。でもその内面にある彼の精神の在処は、やはり幼い頃と何も変わっていないのだ。

 彼は今も「夢」を持って生きているし、だから私たちは、過去ではなく、未来の話をすることができたのだろう。

 そんな人と再会 し、互いの心持ちの在処が揺らいでいないことを確信できたことは、イコール、自分の精神の在処もまた何も変わっていないことを認識することにもつながった。

 世の中は、ますます混沌としつつあるし、私は、なぜかこの1,2年、ある大切に思って来た人から怒られたり、攻撃されたりする目に人生ではじめて遭遇し、こんなに頑張っているのに何故?と、自己否定で落ち込んだこともあったけど、でも、こんなふうに対話できるってことは、自分はやっぱりそんな捨てたもんじゃないじゃん、って思った。

 自分が自分でいられること。
 それで良いって、思えた心地よさ。


 人はそんなに簡単に変わるもんじゃないと思う。良き事は善き心に宿るし、良き行いは善きヴィジョンに支えられて行く。

 そう、自分は、昔から、なにも変わっていない。
 私がめざして来たもの、私が好きだったもの。

 仕事のスキルやキャリアは、経験で上がって行く。だから人を取り巻く環境は変化するけど、その中心にいる「自分」は、ずっと変わらない。

 

 今日、模試を受けたG君も、人生、まだまだこれからだよん。
 みんな〜〜〜〜、頑張ろうね、一緒に。

 

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July 05, 2008

センチネルな人。

 昨日から読んでいた本に、世の中にはびこるさまざまな邪悪なものに対し、こつこつと、ひそかに対抗するセンチネルな人についての話が書かれていた。

 世の中にはびこる邪悪なものはピンからキリまでいろいろあるけど、例えば、自分の仕事場のmacでたまたま圧縮して送られて来たデータが解凍できないという理由だけで「世の中からmacなんてなくなれば良い!」と社内で叫ぶ人ってどう?

(嘘みたいな、本当の話。●さんは、昨日、本当にそう叫んでいた)

 私は長年のmacユーザーだけど、どんなに(私にとって)使い勝手が悪くても、「世の中からwindowsがなくなれば良い!」なんて、絶対に叫ばないし、そんなこと、思いもしない。


 その人は、本当は良い人なのだろうけど、とにかく口が悪い。

 口が悪い人って、言った本人はそのことをほとんど気にしてなくても(もしかして忘れてる?)、言われた相手は、ひどく傷つき、ひどく悩む。しかも、突然、降り掛かる災難みたいにそれは予期せぬタイミングでやってくる。

 そして損なわれる。

 いつもどうしてそんなことを言ったり、理不尽に誰かを非難したり、暴言を吐くのだろうとずっと思っていたのだけれど、要するに感情と言語行為がダイレクトに結びついた(ほとんど考えずに感情を口に出す)タイプなんだろう。

 そんなふうになってしまうその人の気持ちに寄り添って、そんなことを言わざるを得ないその人の苦しさを掬い取り、我慢しようとも思っていたけど、つまるところ、日常的に気楽に言葉を吐き捨てるタイプの人には、実は、深い意味も善も悪もないのかもしれない。

 その本性があるだけ。

 そこから我が身を守る為には、センチネルな人が必要だ。

 
 降り積もる雪の中、淡々と雪かきをする人。
 切り立った崖の手前で、走り来る子供たちをまもる人。

 

 不意に起こる悲劇に対しては、やはり小さな善意と希望を重ねてこつこつと防ぐしかないのだろう。やれやれ。

 久しぶりに春樹さんの「かえるくん、東京を救う」(神の子どもたちはみな踊る)を読みたいと思った。 

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June 23, 2008

新しい月曜日

 いろいろなことがあって、いろいろなことを考えた日曜日を経て、新しい月曜日がやって来た。

 信じていた心のあやうさや、素直な喜びや、笑顔。人間の変化。対してずっと変わらないもの。


 でも結局は、すべて私自身の「問題」なのだ。  
 問い続けるから、答えを求める。
 答えを求めるから、期待と失望が生まれる。

 
 深く関わりのあった人との「別離」を自分の中で整理するとは、つみあげた「時間」をどう消化するのか、ということでもある。

 
 その人間関係の変容のプロセスの中で、「POWER STRUGGLE」を産む。
 そのまっただ中にいる状態で時が過ぎる。
 それは苦しい。なぜなら自分が、ちっとも「前進」しないから。


 理解しあっていると思ってた人が私に酷い事を言うのは、私がいつからか、その人にとっての「POWER STRUGGLE」の対象になったから。
 多分、どこかの時点から私はその人の望む行動をしなくなり、その人の欲求を満たさなくなってしまったことで、私は、その人から投げかけられた「POWER STRUGGLE」に巻き込まれたのだ。

 そして私もまた、知らず知らずのうちに、そんな相手が、自分の望む相手でなくなったことに腹を立て、何故?と問いかけ、私の何が間違っているの?と私の正しさを主張する事での、「POWER STRUGGLE」に参加してしまっていたのだ。

 
 間違いを正すという妙な正義感は、私もまた「POWER STRUGGLE」に参加しているひとりなのだということを、見えなくさせていた。

 

 「POWER STRUGGLE」は、実は、自分自身の内面の葛藤が外に投影されたもの。さまざまな恐れから生まれて、それに参戦している以上、本来の欲求は満たされなくて、実際は内面的な葛藤がどんどんふくらんでいくだけだ。

 
 確かに、先に「POWER STRUGGLE」を私にしかけてきたのは、「あの人」だ。

 でも、そのとき、私が、何故その人がそうまでして私にその闘いをしむけたのかの内面的な葛藤を理解してあげていられたら。。。

 それを理解する深い心と愛情が少しでも私にあれは、私は、その争いに参加することもなく、相手もまた自分の怖れにきちんと向き合い、また違った結果もあったのかと、今、はじめて思った。

 一旦、「POWER STRUGGLE」に参加してしまうと、ひたすら、攻撃と、正当性の主張の応報になる。そこからは何も生まれない。
 大きな大きな内的な葛藤が生まれ続け、鬱になり、生きる喜びがどんどん消失していくだけ。

 そんなことに、約2年、費やしてしまった。
 苦しみながら、悩みながら、泣きながら、でも、仕事だけはと、めちゃくちゃ頑張ってきた。 だから、精神と身体のバランスが時に大きく崩れてしまった。

 何度も、自分に問いかけ、こころを強くして、持ち直したつもりでリ・スタートを切ったけど、私が「POWER STRUGGLE」に参加している限り、何も前進していなかったことにやっと気づいた。


 もう、「POWER STRUGGLE」には参加しない。

 自分が相手に宣戦布告させてしまった自分の「きざし」を見つめよう。
 それは、私が気づかないうちに自分の内側に閉じ込めてしまった私の古い傷にきちんと対峙して、その傷をちゃんと治癒させ、前に進むことにもなるはずだ。

 さらに期せずして自ら参戦してしまった自分の「今」を見つめよう。
 それは、きっと、長年に渡って蓄積した私の「良くない思考習慣」を見直すことになるはずだ。

 これ以上、自分を責めるのも、もうやめよう。
 そして本来の自分を信じて前に進もう。
 私には、状況に対応できるヴィジョンがあるのだ。
 誠実さ、自由こそが私の好きな私なのだ。

 「天国はふたりづつ入るもの」(a course in miracle)

 そうか、

 人という字も、ふたりの人が支え合っていて出来ている。  


 「POWER STRUGGLE」ではなくて、「LEADERSHIP」。その先にこそ、敏感な受容力と創造性のおもねく豊かな「VISION」がある。


 こころを全面的に私のVISIONに与えよう。

 
 

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May 24, 2008

スプートニクの骨

以前から、長時間立っていたり、歩き続けると、足の踵がとても痛かったweep
でも、こういうのは、立ったり歩くことによる「当たり前」の結果で、
我慢するものだって思っていた。

みんなもきっと同様な痛みを我慢しているんだと思っていた。

(以前、「水うちわ」の営業の一環で、新潟三越でのLOHASフェアに出展した際、
4日間ほど、店頭に立ち続け、とにかく2日目からものすごく足が痛くなった。

ひたすら我慢していて、、その時、まわりの三越正社員さんをみながら
どうしてみんなは、あんなふうに立ち続けていられるんだろう、、
すごいなぁ、我慢しているのかなぁと
自分の我慢の出来なさを責めたりもしていたのだけど、、)

でも、それは違ったのだ!!

実は、三週間ぐらい前から、どうにも通常の痛みとは違う
皮膚に針千本差しているみたいな痛みが、
足の踵からアキレス腱のあたりにかけてあって、

いろいろマッサージしたり、クリーム塗ったりしても良くならないし、
ネットで調べたりしながら原因をさぐっていたのだけど
分からなくて、、

あまりに毎日、忙しくて、
まったく医者に行けず、、むなしく日々が過ぎ、、、。

3週間しても全く治らないので
「もしかして悪い病気だったらどうしよう、、」と不安になり、
今日、思い切って病院に行ってきました。

そしたら、なんと、その痛みには、ちゃんと原因があったのです!

それは、、、

「有痛性三角骨(ゆうつうせいさんかくこつ、triquetrum syndrome)障害」
(もしくは三角骨症候群とも言う


三角骨は足の過剰骨のひとつで、距骨後突起の後方に見られる。10名に1人の割合で
足関節の下部(アキレス腱の付け根付近)に存在する。

痛みは足関節を低屈したときに、三角骨が脛骨後縁と距骨との間にはさまれるために生じる。
クラシックバレーのポアント肢位(爪先立ち)やサッカーでボールを蹴ろうとして
足関節を底屈したときに痛みが生じる。足関節外果とアキレス腱の間に圧痛を認め、
足関節の底屈・内反を強制すると痛みが誘発される。

距骨後突起の骨折をきたし骨癒合が得られなかった場合も三角骨のようになる。
治療は底屈の制限、安静状態にして、テーピングを行う。
保存治療が無効なときに手術的に三角骨を摘出する。



ということだそうです。

要するに、足の過剰骨のひとつの「三角骨」(10人のうちの1人に該当したのだ!)に
先天的に異常があったのです。

先生曰く、その骨があるということだけでは、痛みにはならないのだけど、
それが私はより「突出していて」
だから、何時間も立っていたり、長時間歩く等、足の踵を圧迫すると、
普通の人よりも痛みを生じるそうです。

サッカー選手や、バレリーナに多く発生する症状だそう。

ちなみに、「過剰骨」とは、、

過剰骨 (かじょうこつ、supernumerary bone)
過剰骨は、系統発生の過程で存在した骨が退化し残存したもの。足部周辺に多い。

というものだそうです。

「三角骨」とか、「過剰骨」とか、、なんというか、
今までまったく知らなかった10人に1人が持っている「骨」の存在。

不思議な気分でした。

身体の中で私を支え続けてくれている「骨」にもいろいろ個性があって、
その骨の個性を知った上で、
上手につきあっていかないと駄目なんだなぁと痛感しました。

私の三角骨(ちょっと可愛い。レントゲンで見たけど、実に可愛い骨でした)は、
ずっと私の足下で,小さな悲鳴を上げていた。

三角骨は、「過剰骨」だなんて、なんだか、可愛そう。

退化して残存した骨、、、って、どういう意味だろうって思ったけど、

「進化して残存」ではなくて、「退化して残存」ってのが、パラドックスだ。

まるで、スプートニク号に残された宇宙犬みたいな。

不思議な感触。

そう思うと、私の中の小さな彼(彼女か?)の悲鳴をちゃんと受け止め、
大事にしなくちゃと
つくづく思った私であった。

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May 21, 2008

未来を創る〜トップセールス

 一ヶ月以上のご無沙汰、、、申し訳ありません!

 またまたものすごく忙しくなっていましたwobbly

 こういう時期って、なぜか、自分が病気になったりする変な夢を見て落ち込んだりするんです。

 で、目覚めて、あ〜よかった、夢だった、って思って、それから「いかん!気をつけなくちゃ。なんたって身体が資本なんだから」と思う訳。

 身体の調子が悪いと精神もダウナーになって、いや〜なオーラの人を引きつけてしまうし、本当に気をつけよう。

 

 そんな時、私を元気づけてくれるのが、実は、この春からはじまったNHKの土曜ドラマ「トップセールス」です。なんだか、ちりとて以来、どうもNHKの回し者みたいだけど、、、ううむ。そしてこんなにドラマのことばかり書くとすご〜くテレビ、見ているみたいだけど、そうではなくって。


 この春からはじまったテレビドラマで見ているのは、実は、一週間の中で、2本 だけ。それがこの「トップセールス」と、火曜日夜10時〜の「無理な恋愛」

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 そう、その二本ともが、主演は夏川結衣なのです。たまたま面白いドラマが夏川結衣主演で重なった、、ということで。


 でも、夏川結衣は、とても好きな女優さんの一人です。

 そんな中でも、「トップセールス」は、見終わってこころの奥深くに残ります。
 そして明日も仕事、頑張ろう、人生、前向きになろう!と心底思えるドラマだ。

 ドラマの内容は、、、まずはNHK公式サイトから引用。

 「クルマを売ることは、乗る人の未来を一緒につくること…!」

 まだ企業が男性中心社会だったころ…昭和49年。大企業の女性社員から自動車販売会社に転職し、様々な困難を乗り越えて トップセールスへとかけのぼり、外車のセールスに転じてのちに社長にまでなる女性の一代記。団塊の世代である高校の同級生5人の男女との恋模様ととも に、彼らの人生を追うことで戦後日本経済の中心となった自動車業界の流れも描いていきます

 

 男性社会の中で、精一杯、頑張る主人公。お金のためだけでなく、人として生きるための「仕事」。私は、いつも、このドラマを見ると、泣けてきます。同時に勇気をもらいます。
 
 想いが現実をつくり、未来をつくる。
 素直にそんな人生を歩みたいなと思います。

   ドラマの中で、こんな言葉がありました。

  売れない営業マンは物を売る。売れる営業マンはお客様の未来を売る。

 
すべてに言えることだと思います。 

 私はこれからもずっと、関わる人と、自分と社会の未来を創るプロでいたいです。

 番組主題歌の平原綾香さんの「孤独の向こう」

 エンディングでこれが流れてくると、もう胸がきゅんとしてしまいます。

 すごく良い曲です。

「孤独の向こう」、それは悲しいことじゃない。

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April 07, 2008

ギャルリももぐさ〜しろ いずる 白

 先月、久しぶりに多治見の「ギャルリももぐさ」に行って、「古道具坂田展」を拝見に行ってきた。

 ももぐさの安藤雅信明子夫妻とも、もう7〜8年の付き合いになる。

 そして、今回の企画展の企画出品者である「古道具坂田」の店主、坂田和實さんは、昨年、四国、高松の四国村での、民具の企画展をお願いして、ご一緒して以来、私がもっとも尊敬する大人の一人。

 もう20年以上前に,目白にある「古道具坂田」にお邪魔して以来、ずっとあこがれ、いつか、一緒にお仕事ができたら、、と願ってきた人だ。

 そして私がいつか、坂田さんにふさわしい人間に(当時は、あんな大人になりたいと、思っていた)近づいた時に、きっとご一緒できるのでは、、と思って来た。

 そして20年。
 昨年は、その夢がひとつ実現した。

 でもでも、私は坂田さんのところでは、ほとんど買い物をしたことがない悪い(?)お客さんだった。
 だからという訳ではないのだが、「ももぐさ」で、やっと坂田グッズを購入することができたのだ。

 
 一目見て気に入った、坂田チョイスの「くらわんか手白磁皿4枚セット」
 こんなパッケージです。ももぐさのセンスが生きています。

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順々に丁寧に、包みをひらいていきます。

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どう??

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4枚がお目見え。江戸後期、、ということだが。
すごくモダンです。
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ちょっとクルミとか入れてみました。。。

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 いかがでしょうか???

 私にとっては、この白磁皿は、骨董というよりも、

 例えばルーシー・リーや、
 部屋の片隅でいつも私を見てくれている、
 リサ・ラーソンのブルテリア犬の「白」(勝手に名付けている)や(他の犬では駄目なんです)、
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こちらも私の部屋を彩っている篠原芳子さんの作品(和紙の積層で出来ている:写真が悪くてごめんなさい)の「白」
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に通じる、ホワイト オン ホワイト の「アート」でもあるのです。

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March 29, 2008

ちりとてちん、ありがとう〜。

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 大好きな、大好きな「ちりとてちん」、とうとう終わってしまいました。


 今日は、朝8:15分からの放送を見て、笑い、泣き、そして、9:30分からのBS総集編でまたまた笑い、泣き、11:00からの「ちりとてちん落語ワールドSP」で、またまた泣いて笑ってしまいました。。

 とにかく「あ〜〜〜終わった!」という感慨に耽っています。


 そして、多分、同様な気持ちでいるであろう全国の「ちりとて」ファンのみなさんのことを思いつつ、悲しいけれど、途方も無く幸福な気持ちに包まれています。

 悲しみと喜び。涙と笑顔。ほんとうに半年間、ありがとうございました。こんなに感動して、こんなに楽しみにしていたドラマは未だかつてありませんでした。

 ちりとてキャストのみなさんスタッフのみなさん本当にご苦労様でした。そしてありがとう。


 そしてそして、同様な気持ちをシェアできたであろう全国のちりとてファンのみなさんありがとう〜。


 このドラマの素晴らしさは、書き始めたらきりがない。
 でも、私は、このドラマが存在し得たのの理由のひとつには、キャスト、スタッフ含めたすべての制作者、ひとりひとりの、個人的な人としての想い、本音、本気、正直さが、きっちり表現し続けられたからこそだと思います。

 例えばNHKスタジオパークに、四草役の加藤虎之介さん登場した日の、脚本家の藤本さんの言葉に、抑えきれずにぽろぽろと涙した加藤さんの横顔、そしてそこに草原役の桂吉弥さん草々役の青木崇高さん小草若役の茂山宗彦さんらが登場したときのみなの笑顔と涙。
 それは、作り物なんかではなく、ほんとの気持ちが現れていた。

 例えば最終回の前日、3/28の朝8:15分からの放映が終わってNHKニュースに切り替わった時、かつて誰も言ったことのないであろうセリフ「明日の最終回もお楽しみに」と、森本アナウンサーが初めて言ったこと。
 思わず「おお〜〜!ナイスじゃん!」と叫んでしまった(多分、みんなもそうだったと思うけど、森本アナ、叱られてないかと心配にもなったけど)→まだ、見ていない方はこちらへ
 

 マスメディアでありながらも、ひとりの人から人へ、伝える「本物の言葉」があると思った。
 
 NHKにも、いろんな問題を抱えていたけど、もしかしたらすこし変わったのかも?と期待すらできる
「こころ」がある、「わたし」が居る、「あなた」を知る、そんな番組づくりが、やっと出来るようになったのか。

 そういう番組を作ろうとしている人々ひとりひとりの人生が、そこに出始めたような気がして嬉しかった。


 私も、そういう仕事をこれからもしていきたい。
 

 人の悪口を言うのではなく、人のせいにするのではなく、人を幸せにする仕事。


 仕事とはそういうものであるという信念を貫いて、喜びと悲しみをみなでシェアできる「寛容と慈悲のこころ」を忘れない、あたたかな人生を笑顔で歩みたい。
 

 そんなシンプルな人生への願いを、私にもう一度、確信させてくれた「ちりとてちん」。
 
 ほんとうにありがとう。


 このドラマをシェアできなかった方々へ。

 あなた方の人生は、今そういう場所にあるのだろうけど、もし、いつか、機会があったら、総集編や、DVDをご覧になったらいかがでしょうか。
 

 私は強制も、押し売りも、押しつけもしませんが、私は、このドラマをシェアできる感覚の人々と、生きて行きたいと思っています〜。


 それが、私の ちりとてちん。

追伸:総集編が<NHK総合>で、
   5月5日(月祝) 午前8時35分~10時13分(98分) 
     ○前編「笑う門(かど)には福井来(きた)る」
   5月6日(火祝) 午前8時35分~10時13分(98分)5月5日
     ○後編「笑う一門には福来(きた)る」
   として放送されますよ〜。

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March 28, 2008

徒然なるまま

世の中には
本当にいろいろな人がいる。


20代の私は、映画をつくる仕事をしていた。そこで接した芸能界の人々の中には、それまでの私が出会ったことのない「平気で嘘をつく人々」がいた。
ちょっとやくざっぽくって、「人を脅す」人がいた。
まるでテレビで見ている芸能界の人、、みたいで、可笑しかった。

でも、私は、そういう人に会う度に、その人のまわりにまとわりついている黒いもの、って何だろうと思っていたけど、それがその人の本性を象徴する雰囲気(オーラみたいなもの)だと悟ってからは、そういう人に近づかないようにした。


30代の私は、その黒いオーラを嗅ぎ取ることが出来たせいか、選択的に生きるすべを身につけたせいか、はたまた、中途半端な世代のせいか、企画や編集、プロデュースの仕事をしながらも、直接攻撃されることなどなく、ずっと安心して仕事ができた(男女問わず、出会う素晴らしい先輩達には大変可愛がっていただけて、沢山、教えていただいた)。
そんな中で、発見したのは、何も発していない人の存在だ。
一度、私は、自分よりずっと年上の(多分定年真近の公務員)その不思議な存在の方に対してつい「そんなふうに生きていて何が楽しいのか」と言ってしまった。
その人の顔が一瞬止まった。そしてそれきり黙ってしまった。
私は、彼を傷つけたのだと思った。

そして、こういうことは二度と(求められていない限り)口にしてはいけない、と思った。


40代になって、自分の社会的なキャリアみたいなものがついてくると
私を「立てて」下さる方が出て来た。
すごく有り難い〜。心から感謝。


でも、そんな中で発見したのは、まれに存在する「極端な二面性を持つ人」の存在だ。
そういう人は、自分が「極端な二面性を持っている」ことを自覚していない、もしくは自覚しているが、それが自分の「仕事」のために必要なことだという100%の自己肯定をしているから、まったく悪びれた所がない。そして、それによって他者を傷つけても、まったく反省することがない。

人間、40年以上も生きていると、「自分を反省して、変えること」が出来にくくなる。
多分、日本の社会システムと教育のせいだろうけど、なんのかんのと外側(会社や家庭や、資本主義理論など)の理由をつけて、自分を正当化するという思考形態が出来上がり、そのためには他者や自分より弱いと思うものを攻撃して自己正当化するという思考と行動本能が、固定化される。
結局は、
「寛容」なこころが、なくなってくるということで、
戦争などもすべてそんな「発想」の中で、行われる。


でも、そういう人にも1点だけ有り難い点がある。
それは、「私の鏡」となってもらえることだ。
私もまた長く、男性社会の中で生きている。ふと、自分が同様な思考をしていないかと、危惧をする。
そんなとき、私の鏡となって「嫌なキャラクター」などを演じてくれる存在は、私の心を一時は、烈火のような怒りに向かわせるけど、その後、自分の選択すべきは、そちらの感情ではなくて、「寛容」の道なのだと強烈に自己を向かわせてもらえる。


ただ、この行為、結構、内的ストレスも多い。だから実際は、自分が巻き込まれている「鏡面行為」からは、その「意味を学習」したらさっさと立ち去るのが良い。


そこが今、40代中盤の私に試されていることだ。
「社会的責任」と「今まで自分が頑張ってきたことへの執着」が、
実は、自分の行動を阻めている。


でも「社会的責任」は、自分のこころの健康があってこそ、果たされるものであり、「執着」は、もっとも私が嫌いな感情なのだ。
(執着は、生への本能的執着だけで十分なのだ)


だから、今が勝負時。


「鏡面行為」の人は、黒いオーラを持っていても、それを見えなくさせる技を持ってる。
 私はその先の真の色彩を、さらに見分けられる「人」になる必要がある。


この歳にして、まだまだ未熟な自分。。。
今まで私にたくさんのバトンを渡してくださった(もちろんその中には沢山の素敵な男性も含まれている)方々のためにも(勿論自分のためにも)、、もっと、進化が必要なんだって。


今日の空、網網の雲がまるで大きな「手」のように見える。
その隙間から、黙視的な朝日が見える。


手は、すでに解かれ、飛ぶ雲そのものになった。
自在に循環する存在。


高速で動きながらも、ゆったりと見える雲の動きが
好きだ。

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March 23, 2008

as time goes by

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 三月の初め、ここ10年程、親しくしていた大好きな友人が亡くなった。

 彼女は、昨年の夏に突然発病し、闘病生活を繰り返していたのだけれど、私は彼女は絶対に「死なない」と思っていた。

 「まだ、死なない」「まだ死ねない」。
 彼女の想いは強く、彼女の精神も強かった。
 
 でも、彼女は「もう、いいかな」と思ったのだろうか。

 ここまで頑張った。ここまで努力した。そして彼女のお子さんはきちんと成長した。

 私は、彼女が必ず治ると信じていたから、亡くなる前の日も、携帯にメールを送ってた。

 「はやく良くなって、また一緒に仕事をしようね。ずっと待っているから」

 そして、迷いに迷って、最後に書いた。

 「愛してるよ〜。Hさん」って。

 こんなこと、書くと変に思うかなって、迷った。だって、普通は言わない言葉だもの。なんかだ本当に病気が悪いみたいじゃん。って。

 でも、書かずにはいられない気持ちになった。
 何故だかは分からない。だけど、伝えなければと思っていた。
 
 断じて言う。私は彼女は「まだ、死なない」と思っていた。病気を克服する、、と信じていた。
 
 だから、そのメールが最後になるなんて、思ってもいなかった。

 でも、実は、その日の夜、彼女が夢にくっきり現れた。
 彼女は、赤い服を着ていて、笑顔で私に言った。

 「いろいろありがとう。。。。」

 私は彼女とハグをした。その感触、しっかり覚えている。

 そして彼女は言った。
「じゃあね」 って。
 笑顔で。
 そして、いつものように手を振って、クルリと向こうを向いた。
 
 次の瞬間、彼女は消えていて、私は目覚めた。
「昨晩、寝る時に彼女のことを沢山、沢山、考えたから夢に見たんだなぁ」って思った。

 決して、本当にお別れに来たなんて、微塵も思いたくなかった。

 翌々日、彼女のご主人から電話があって、彼女が亡くなったことを知らされた。

 
 私は、彼女のがんばりを、彼女の希望を、彼女の願いを、沢山、沢山、知っていた。
 だからこそ、彼女の悲しみや、彼女の悔しさも知っている。

 まだ、逝きたくなかったはずだ。
 でも、その絶望的な辛さ、痛みを私は知らない。
 
 今、生きている私は、実は、何にも彼女と共有できない。
 彼女の悲しみを推し量る事も、シェアする事も、苦しみを和らげることも、病とともに闘うことも今となっては、なんにもできない。


 そして、私は、彼女に会いに、四国へ行った。

 彼女は、棺の中で、眠っていた。
 そこにいたのは、かつて私と笑ったり、泣いたり、考えたり、喜んだりした彼女ではなく、ただ、そこに眠る「人」だった。

 それまで毎日、毎日、彼女を思い出しては泣いていたのだけど、もう泣かない、と思った。
 彼女はもう、逝ってしまったのだ。

 「じゃあね」 
 と、彼女は私に言った。
 夢の中だったけど、目の前の棺の中の彼女より、ずっとリアリティがあった。


 その日、私は、お葬式を終えてマリンライナーにのって高松から岡山に到着すると、一緒にお葬式に行ったHIROEさんと別れて、ひとり、岡山から広島に向かった。

 私は、岡山から新幹線ではなく、各駅停車の在来線に乗った。
 ゆっくり、ゆっくり、時を消化したかった。

 どこかに向かうこころ。
 どこかに見送るこころ。

 車窓の景色は、ゆるやかに変化していった。

 海岸線を走っていた列車が、途中から山深い道に進む。
 途方も無く深い嶺の下を行く列車。
 切り立った崖の上空に、まるで宇宙ステーションのような橋がかかっていた。

 私の向かいの席にすわっていた茶髪の15.6歳の少女の横顔が、時折、窓ガラスに写っていた。
 
 ただ列車の中で、その動きに身を任せて過ごした時間が、次第に私のこころを強くしていった。

 いつか、私も行くであろう、遠くの場所。
 それは、この列車の旅のように果てしなく、まがりくねった先にある。

 何時間経ったのだろうか。
 いつのまにか、外は真っ暗になっていた。
 とっぷりと日が暮れた夜の中、列車は、広島駅に滑り込む。

 到着駅で、目の前の少女も立った。 
 私も荷物を持って席を立とうとした時、彼女の座っていた椅子の上に、沢山のキラキラしたアクセサリーがついたままの携帯電話が置き忘れられていることに気づいた。

 思わず私はその携帯を手に取って、今、まさに列車から降りようとしていた彼女の背中に声をかけた。
「携帯!忘れているよ」

 少女は、あ、という顔をして、その後、200%に輝く笑顔で私に言った。
「ありがとうございます!」
 茶髪で、きらめくアイシャドーに不似合いな無邪気な少女の笑顔。

 すれ違う、ときの中で、私は今日も、私のときを、生きる。

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