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September 12, 2004

After the fall

 2004年の9,11が過ぎた。
 あれからもう3年という月日が経ちました。昨晩はフジテレビ系列で、多分、はじめての9,11を扱ったドラマがオンエアされました。ドキュメンタリー・ドラマだったので番組として成立可能だったとも思いますが、表現者にとって9,11をどう扱うか、どう表現するか、どうコミットするかは、多分、あの事件が起きて、テレビ画面で刻々と変化する状況を見つめているその最中からみながさまざまな思惑の中、考え込んだのではと思います。
 かくゆう私も表現者のはしくれとして、本当に考え込みました。この事件の大きさ、客観的現実、視覚的事実…すべてがもの凄いドラマの要素を抱えています。
 人間の愚かさ、尊さ、惨めさ、豊かさ、無情さ、永遠性…世の中の相反する要素をすべてすっぽりと内包してしまうようなこの出来事は、直面した人間を無言にするしかない程の大きな、ブラックホールのような深さをたたえたものでした。
 当事者とそうでない者。そこにいた人とそうでない人。
 そして生き残った者と、そうでない者。
 決定的な違いの中で、こうして思考できるということが、生きているからこそであるという大きな大きな現実。
 私はあれからずっと、9.11に関しての物語を書き続けています。
 もう少し正確に言えば、「After the fall」〜その後、のことについての物語です。
 いったい今までどれほどの文章や、ペーパーを費やしたことだろう。何度も「了」と書きつつも、それでも何度も、書き直さずにはいられなかった。
 私自身の未熟さが一番なのだけれども、「それでもなを」何故、書き続けているのかということへの問いかけに対する答えが、見いだせないでいたからに他ならない。
 いや、やはりもっと正確に言えば、事件を食い物にして物語をつくっているのではないか?という抵抗感と、それでもなを「書きたいと思い」「書き続けてしまう」自分とのシーソーゲームにも似た感情への問いかけだった。
 結局、当事者でない私にとっては、その物語の中で思考し、ある私的結論に向かうという行為を行っていいのかという自己牽制のようなものが、現れては、消えるという繰り返しでもあった。
 この3年、し続けてきたさまざまな問いかけ。
 私は、2002年の1月、ニューヨークに行った。
 行かずにはおられなかった。どうしても行きたいと思った。
 その<わたし>こそが、今、生きている<わたし>なのだ。
 そしてその過去のわたしが、今を生きているわたしを支えている。
 だから、書きたいのか?だとしたらこの物語は永久に完成しないのではないか。
 そんな葛藤の中で、昨晩見たドラマは、ひとつ、私に答えをくれた。
 やはりそこに居るのも、「生きている」人だと言うことだ。
 そして、人はみな、さまざまな局面で、あきらかに誰もが当事者なのだ。
 私は、やっぱりこの物語を、物語として再び書き続け、そして再び「了」とする時まで、ひたすら書くのだろう。それが私が、今、生きているというそのものに他ならないから。
 呼吸し、泣いたり、笑ったり、体が痛かったり、辛かったり、すべてが今の私としてそこにある。
 この当たり前の尊さや、密かな淡々とした尊さを、小さな声でも、大きな声でも、格好良くでも格好悪くても、伝えたいと思う時に伝えられれば、きっと、いつか、自分がもっと好きになれるかもしれない。

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Comments

9.11に対して、しっかり向き合っている姿勢に感じるものがありました。昨夜のドラマは見ませんでしたが、残されたものにしか悔しさは表現できないでしょうね。
 自分がもし、この世界から急に去っていくことになったら・・最後の日は誰にでも訪れるのですが、今日にでも何の前触れもなく訪れたとしたら。その恐怖を一度経験したことがあるものは、この『生』が最後の日に向かってひた走りしている事実と向き合って生きていくことになるのでしょう。そこでどのような生き方を選ぶのか・・考え抜いても結局昨日までと同じようにしか生きていけない自分がいます。・・ただ知る前には意識できなかった、一つの確信を持って。
 ふだんは忘れかけているのですが、nahokoさんの文から再認識させられました。

Posted by: yuko | September 12, 2004 at 01:43 PM

yukoさん、メール、ありがとうございます。パソコンの都合でなかなか返信できませんでした。
 もし自分が、通常の理性を持ちながら、突然、この世界から去るという現実に向き合ったら果たして自分はどうなるのだろうとは、時折、考えることでもあります。
 そして同時に、突然でなくとも必ず訪れるその日についても。結局、私たちがこうして何かを書き続けているのも、その日を迎えるまでの、生き抜く本能なのかもしれません、切ないけれど、だからこそ生きているともいえますね。

Posted by: nahoko | October 04, 2004 at 12:25 AM

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