« August 2004 | Main | October 2004 »

September 2004

September 29, 2004

The Hours

 昨晩、時間について少しだけ想いを廻らせたことの続き。
 時間といえば、私が昨年観た映画のベスト1は「めぐりあう時間たち」(The Hours)という映画です。2003年のアカデミー賞では、全9部門にノミネートされ、映画の中で、ヴァージニア・ウルフ役を演じたニコール・キッドマンが最優秀主演女優賞を受賞したので、覚えていらっしゃる方も多いかも知れません。
 これは、三つの時代、三人の女性が、それぞれに迎えるある何気ない一日を描いています。何気ない一日でありながら、それは実は、まったくもって何気ない訳がなく、何気ないかのように始まった朝、そして人生が大きく大きく変わる一日。その時間がめぐりあう中で、いつの間にか三人の女性の中に、自分もいることに気づいてゆきます。見終わった時、とにかくはらはら、はらはらと泣けてきました。
 あまりの素晴らしいできばえに(ます2001年のニューヨークで編集者として生きる女性を、メリル・ストリープ、1951年のロサンゼルスで平凡な主婦として生きる女性をジュリアン・ムーア、そして1923年のロンドンで「ダロウェイ夫人」を執筆する作家・ヴァージニア・ウルフを演じたのが、先にも述べたニコール・キッドマンという豪華キャスティング!!)、暫く席を立てなかった程。演出も、台本も、そして映像もすべてが素晴らしく、映画が終わってパンフレットを購入してはじめて、この映画の原作を、私がずっと昔から好きだったマイケル・カニングハムという作家が書いていることを知ったのです。
 私はマイケル・カニングハムの「この世の果ての家」という物語が大好きで、こんな小説がかけたらいいなぁとずっと思っていたのですが、この映画の原作が彼のものだと分かって、俄然、その原作を読みたくなり、手に入れたのが、原書のペーパーバックと、そして翻訳本です。
hours
 もちろん、後ほど、DVDも手に入れました。
 これは、何か自分の人生が、自分のものでないかもしれないと、日々の中で、ほんのちょっとでも感じたことのある人なら、特に女性は共感できる部分がある作品だと思います。
 
 自分に与えられた時間の中で、私たちは本当の自分を生きているのか。

 そんな問いかけを、知らず知らずにしている自分に気づきます。
 もし、機会があったら、ぜひ、ご覧になってください。本当は暗い劇場の広いスクリーンで観て欲しいのだけど、でもたまには、一人、部屋の片隅で、自分だけのためにそんな時間を費やしてもいいのではと思います。そのとき、あなたは新たな時間とともにいる…。

  And here she is,herself,Clarrissa, not Mrs. Dalloway anymore; there is no one now to call her that.  Here she is with another hour before her.
“Come in,Mrs.Brown.”she says. “Everything's ready”

 そしてここに彼女、クラリッサがいる。彼女は最早、ミセス・ダロウエイではない。彼女をそんなふうに呼ぶ人はもういない。ここには、新たな時間を手にした彼女がいるのだ。
 「こちらへどうぞ、ミセス・ブラウン」彼女は言った。「全ての準備は整っています」
     〜The Hours:めぐりあう時間たち より〜
 

| | Comments (0) | TrackBack (1)

September 27, 2004

時のつながり

 ど〜〜うしてこんなに時間が経つのが早いのだろう???
 これってやっぱり歳を重ねたってことなんでしょうか。
 でもでも、やっぱりパソコンをどんどん買い換えてどんどん性能が良くなると、前のパソコンが遅く感じて使えなくなるみたいに、なんだか体内時計というかリズムみたいなものが少しづつ変わってきているような気がする。
 たとえば、今度10月17日(日)に、私の心の友であり、尊敬する音楽家でピアニストのAricoのライブを行う(このことに関しての情報は、後ほどまたアップしますね!)、「後楽荘」という岐阜のとっても素敵な老舗の日本料理屋さんがあるのですが、そこでうち合わせなどをしていると、いつも時間感覚がゆるやかにずり落ちていくような気になります。
 特に「後楽荘」さんの離れである「燈くら」という蔵の中で話をしていると(ここがまた、蝋燭のあかりが揺れる素敵な空間なのです)、まったりとした時間が流れ始めて、気づくといつも、うち合わせに集中しすぎてしまうのか、あっという間に3時間ぐらい経つこともしばしばで。。。
 私の息子は、ほぼ起きている間中ずっと音楽を聴いている。さすがに学校で勉強している間は聞いていないとは思うが、家にいるときは、それこそ寝るが寝るまで音楽を聴き続けている(彼はお風呂の中でも聴く)。ということは、彼の体内には、音楽のリズムが時計のリズムよりずっと身近に鳴り響き続いているのだと思う。けっこうビート感のあるものが多いので、彼がなかなか熟睡できないというのなど、そのせいなのではとも思う。
 では、私は、というと起きている間中、何かをずっと考えている。
 眠っているときもいろいろ考えていて、夢ばかり見ていて年中睡眠不足な気分なのだ。この前なんて東急大井町線に乗ってる夢を見て、夢の中で「どうして今頃、大井町線に乗ってるんだろう」と電車に揺られながら考え込んでしまっていた。で、朝、目が覚めてもつい「なんでだろう」と、今度はベッドの中で考え込んでいたというなんだか寝ても覚めても・・ってな日々で。
 ところが、こんなふうに時間はあっという間に過ぎていくくせに、昔の親しい友達は、決して何処かに過ぎ去ることはないのだから不思議だ。
 もう何年会っていないだろう、、と思うような友人でも、久しぶりにメールで話したり、ひょっこり電話なんて貰えると、とたんに時間を超えて、つい昨日、会ったみたいに気持ちがつながることができるのだ。
 人間って不思議。時は一方向に流れ続けていくけれど、過ぎ去る過去は、流れ去るとは限らない。それは私たちの脳内が、まるで宇宙のブラックホールみたいに無限のフォルダーを持っているからなのかもしれない、と思う。
 私は図書館が好き。壁中に広がる本棚が延々続く空間が好き。
 その中に佇むだけで、そこにある情報が私を大きく包んでくれるような気持ちにもなる。
 そして、そこでは私が見たこともないようなさまざまな過去の出来事とも、つながれる。
 
 そうか、やっぱり、私は、こんなつながりを慈しむことができる時こそ、もっともハッピーな気分になっているのかもしれません。そんな小さな発見が嬉しいと思う。・・・今日、電話をくれた大学時代の友達のお陰で、そんな私のこころの底に流れる大事な想いを言葉にすることができました。
 Thanks so much!! それではまた!
 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 12, 2004

After the fall

 2004年の9,11が過ぎた。
 あれからもう3年という月日が経ちました。昨晩はフジテレビ系列で、多分、はじめての9,11を扱ったドラマがオンエアされました。ドキュメンタリー・ドラマだったので番組として成立可能だったとも思いますが、表現者にとって9,11をどう扱うか、どう表現するか、どうコミットするかは、多分、あの事件が起きて、テレビ画面で刻々と変化する状況を見つめているその最中からみながさまざまな思惑の中、考え込んだのではと思います。
 かくゆう私も表現者のはしくれとして、本当に考え込みました。この事件の大きさ、客観的現実、視覚的事実…すべてがもの凄いドラマの要素を抱えています。
 人間の愚かさ、尊さ、惨めさ、豊かさ、無情さ、永遠性…世の中の相反する要素をすべてすっぽりと内包してしまうようなこの出来事は、直面した人間を無言にするしかない程の大きな、ブラックホールのような深さをたたえたものでした。
 当事者とそうでない者。そこにいた人とそうでない人。
 そして生き残った者と、そうでない者。
 決定的な違いの中で、こうして思考できるということが、生きているからこそであるという大きな大きな現実。
 私はあれからずっと、9.11に関しての物語を書き続けています。
 もう少し正確に言えば、「After the fall」〜その後、のことについての物語です。
 いったい今までどれほどの文章や、ペーパーを費やしたことだろう。何度も「了」と書きつつも、それでも何度も、書き直さずにはいられなかった。
 私自身の未熟さが一番なのだけれども、「それでもなを」何故、書き続けているのかということへの問いかけに対する答えが、見いだせないでいたからに他ならない。
 いや、やはりもっと正確に言えば、事件を食い物にして物語をつくっているのではないか?という抵抗感と、それでもなを「書きたいと思い」「書き続けてしまう」自分とのシーソーゲームにも似た感情への問いかけだった。
 結局、当事者でない私にとっては、その物語の中で思考し、ある私的結論に向かうという行為を行っていいのかという自己牽制のようなものが、現れては、消えるという繰り返しでもあった。
 この3年、し続けてきたさまざまな問いかけ。
 私は、2002年の1月、ニューヨークに行った。
 行かずにはおられなかった。どうしても行きたいと思った。
 その<わたし>こそが、今、生きている<わたし>なのだ。
 そしてその過去のわたしが、今を生きているわたしを支えている。
 だから、書きたいのか?だとしたらこの物語は永久に完成しないのではないか。
 そんな葛藤の中で、昨晩見たドラマは、ひとつ、私に答えをくれた。
 やはりそこに居るのも、「生きている」人だと言うことだ。
 そして、人はみな、さまざまな局面で、あきらかに誰もが当事者なのだ。
 私は、やっぱりこの物語を、物語として再び書き続け、そして再び「了」とする時まで、ひたすら書くのだろう。それが私が、今、生きているというそのものに他ならないから。
 呼吸し、泣いたり、笑ったり、体が痛かったり、辛かったり、すべてが今の私としてそこにある。
 この当たり前の尊さや、密かな淡々とした尊さを、小さな声でも、大きな声でも、格好良くでも格好悪くても、伝えたいと思う時に伝えられれば、きっと、いつか、自分がもっと好きになれるかもしれない。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

« August 2004 | Main | October 2004 »