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November 2005

November 21, 2005

「親切なクムジャさん」の持つ刃<ヤイバ>

kumujasan_wall04_1024 昨日、映画「親切なクムジャさん」(東芝エンタテイメント配給 http://www.kumuja-san.jp/ )を見てきた。この映画は私が唯一、はまって大好きになった韓国ドラマ「チャングムの誓い」で、主人公のチャングムを演じたイ・ヨンエの4年振りの映画主演作。監督は「オールドボーイ」(カンヌ映画祭グランプリ受賞作)「JSA」などで知られるパク・チャヌク。パク・チャヌク監督はこの作品で今年のヴェチア国際映画祭で特別賞を三つも受賞したのです。
 「親切な クムジャさん」は、言わずと知れたパク・チャヌク監督の「復讐者に憐れみを」「オールドボーイ」に続く、いわゆる復讐三部作の完結編。とは言ってもこの三作は連作という訳ではない(3作共通の俳優がカメオ出演しているけれど)。
 私は元々、バイオレンスや暴力シーンが大嫌い。前作二作は、とにかく激しいし「親切な・・」も15Rだし、、う〜ん、見ようか止めようか、どうしようとは思っていたけど、イ・ヨンエの演技は絶対見たかったし(ミーハー?)ネットでのコメントをいろいろ読んだら、暴力シーンは前作よりも押さえてある、みたいな事も書いてあったから胃と意を決して(=だって、激しい暴力や痛いシーン、血がどばどばを見ていると本当に胃が痛くなるし吐きそうになる)見ることにした。
 昨日の夜の映画館は、私以外は中年のご夫婦が2組いただけ。。ううむ、彼らは絶対、チャングム・ファンのはずだ。。。彼らは果たしてこの映画の内容を知っているのだろうかと、人ごとながら不安にというか、心配になった。あの清純極まりないチャングムをスクリーンでもう一度、との期待を胸に来たのだとしたら、彼らは絶対、不幸。
 しかし、しかし、この映画、本当に面白かった。というか、面白いっていうのも変かもしれない。
 内容は結構エグイ、コワイ、でも、美しい、切ない、哀しい、悲しい、そして可笑しい。
 チャングム、じゃなくてイ・ヨンエはまさに迫真の演技。例えば日本の正当派美人女優があそこまで出来るか?「大奥」みたいに睨んで厭な女をやってるだけで演技開眼なんて、甘い、甘い。
 いったい日本の女優の誰が、本当の天使に、そして本当の般若(もしくは般若以上の何か)になれるか?さらに真っ白なケーキに思いっきり顔を突っ込むことが出来るか?
 映画にしか出来ない表現、映画だからこその嘘、そしてリアルな嘘、虚構の中の真実。
 悲しみのなかの愛しさ。復讐の無意味さと、憐れみと罪。救われたい、救いたい、いろんな想いが交錯した。
 そして私は、笑ったり、気持ち悪くなったり、目を背けたり、見開いたりしながらも、その向こう側の自分を見ていた。
「親切なクムジャさん」の英題は「Sympathy for lady vengeance」。
「親切」って、そのまま読むと、「親」を「切る」って書くんだね。なんだか、その意味が滅茶苦茶、切実な気がした。そうか、「切実」ってのは、「実」を「切る」って書くんだね。
 とにかくこんな映画、最近の日本映画にも、もちろんアメリカ映画にもヨーロッパ映画にもないと思う。どこが違うんだろと考えた。そして思った。
 やっぱり「切実さ」の違いだって。。。

 


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November 19, 2005

ちょっとした仕事の話

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 昨日、ある会社の方と会って、その企業の販促ツールを作成するためのミーティングを行った。で、ちょっと面白かったのは、先方の方が私に「今までの仕事を見せて頂かないと、どのくらいの仕事ができる人なのか、よく分からないんです」、、と仰ったこと。
 たまたま今回の仕事は、ある方からぜひその会社の仕事をして欲しいと云われたので、会社の担当者に会ったのが始まりなのですが、細かな経緯はおいといて、当初、私は依頼された仕事なので、自分自身が仕事を{させて頂けるか}をプレゼンするつもりはなかったのだけれど、相手の方は、紹介者からは言われたものの、その方にとっては私がどういう人間かが分からないので、何らかの私の仕事ぶりや、過去の仕事の成果物などを見てから{仕事を依頼するかどうか}を検討しようと思っていたという訳。
 それが判明したとき私は、今回、依頼された仕事の内容についての提案はプレゼンするつもりだったけど、自分自身に仕事を頂けるかどうかをプレゼンする、ということはまったく考えていなかったということを先方に正直にお話した。「だから、お見せ出来るような過去の成果物などは何も持ってきていないんです」って。
 思えば20年以上仕事をしてきた中で、私は今まで自分から「仕事を下さい」と言ったことは一度もない。つまりは営業をしたことがないのだ。
 なので、その企業との小さなすれ違いも、結局、営業なんてしたことのない私、それでも有り難いことにずっと仕事があった私だからこそ、起こったことで。
 つまり今まで私は、ずっとひとつ、ひとつの仕事の結果が次の仕事へと結びつき、そうしてめぐりあった相手からいつも依頼されてひとつひとつの仕事が成立してきていた。
 その連続が、有り難いことに、20年以上、耐えることなく続いて来たわけで、これはきっと希なことなのかもしれないなと今日、あらためて思ったのだ。本当に有り難いし、幸運だったのだとしみじみ思った。
 だから、私は自分をプレゼンするために、自分が今まで行ってきた仕事の成果を丁寧にドキュメンテーションすることにもあまり興味もなかったし、学者や大学の先生ではないので、業績を人に見せたり、あえて言えば、示すことには逆になんとなく抵抗もあった。知り合いの大学の先生は、どんな小さなこともきちんとドキュメンテーションしている。そういうのってすごいなって思うけど、時々、実際の内容とのギャップを感じてしまう自分がいた。
 でも、欧米では自分の仕事のドキュメンテーションするのは当たり前だし、大学院では論文の書き方を学ぶのが主な授業だとも聞いたこともある。だから、ドキュメンテーション能力が高いこともまた、大事な行為で、それはそれでその人の才能かも知れないし、大切なことなのだろう。文字にしたりすることで、実際よりも立派なものに見えてしまうという術も才能のひとつなのかもしれない。
 しかし私には残念ながら、そういう才能がない。というか過去のことへの執着があまりないから、その才能を磨こうと努力してこなかった。これはお金への執着の希薄さも同じだ(でも、過去の恋愛への執着は?う〜ん、どうだろう、おっと、横道に逸れそうなのでこの話はまたいつか!)。お金に執着が薄いのは、私は、いつも「だって死ぬときは何も持っていけないし」って、思ってしまうから。(これはある意味で、私の短所です)
 だから、お金で人からごちゃごちゃ言われるくらいなら、さっさと片づけてしまいたいと思うし、無いなら無いなりの暮らしぶりがあるし、って思ってしまう。キャッシュフローができて、自分の好きなことが実現しさえすればそれでいいっていつも思う(まあ、これが実はとても大変なのだけど)。そして人に迷惑をかけず、一緒に仕事をしてくれた人がいる場合は、その人の仕事の内容に見合った対価が支払われればいいと思う。本当に、私はそれで十分だっていつも思う。だってそれが私の気持ちよさだし、それはお金で買えない気持ちよさなのだから。
 でも、だからといって私が仕事をしたら、それに見合う対価は何らかの形で交換していただくのは当たり前だともちゃんと考えているよ。その等価交換がスムーズに、気持ちよく、丁度良い塩梅でできることが人の知性だと考えているし、それが純粋な自然の贈与だと信じているから。この部分では、私は中沢新一さんの著作「純粋な自然の贈与」に100%賛同している。
 まあ、そんなわけで(?)私はこれからも営業はしないだろう。自分の納得のいく仕事は、とても貴重な巡り会いの中で、奇跡みたいに生まれるもので、その中にこそ自分が時間を費やす意味があると本気で信じているから。
 多分、お目出度い人間なのでしょう。でもそれが私だし、それがずっとフリーで(ある意味で全部、自分で責任を負って)生きてきた、たった一つの貴重な特権なのだから。

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November 17, 2005

久しぶり。

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 八月からずっと、長く日記を書けずにいました。
 ものすごく忙しくなってしまったり、いろいろと文章を振り返って書く時間が物理的に無かったり、精神的な余裕がなかったり、、、。
 でも、十一月になって、やっと、やっと時間と精神的余裕が出来てきました。

 その間、いくつかの大きな仕事をこなしました。
 珍しく辛い仕事があって、めげたこともあったけど、でも今、思うと、そんな自分が恥ずかしいなぁって感じ。多分まわりの人より、ずっと強い人のはずなんだけど、でも今回は、ちょっと愚痴ってしまったり、弱音を吐いたりしてしまった。後悔。

 だけど、こうして終わってしまえばそんな日々が嘘のようです。毎日、深夜まで原稿を書き続けた日々とか、そんなことも嘘のよう。
 とにかく残すところあと、一ヶ月とちょっとで今年も終わってしまいますが、それまでは、もう大きな仕事は入れないぞと決心し、ゆったりとしたペースで2005年を締めくくりたいと思っています。

 夏から秋にかけての超多忙な中で、自分を取り戻したくて読んだ本が、村上春樹の「東京奇譚集」。
 時間を忘れて一気に読んでしまった。一気に読むのが惜しくて、なんとかゆっくり読もうと努力したのだけど、でも止まらなくなってしまった。
 読み終わって、はらはらと泣けてきた。訳もなく、意味もなく。でも、本当は、訳もあるし、意味もある。
 そんな中で気づいたこと、大切なひとつ。輝くような記憶の彼方の私の本当の本物の意志みたいなもの。
 
 最近は、毎日、息子のために昼ご飯を作っています。彼はトマトを入れたニンニクたっぷりのペペロンチーノが好きなのです。あとシーザーサラダが大好き。
 で、ニンニクを刻むと、その日の午後はずっと指先がニンニクくさい気がするのです。だけど、息子のために、私は細かく、細かく、ニンニクを刻みます。そして思います。指先の小さな小さな幸せを。

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