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February 05, 2007

雪のない冬に

  本日、東京の某ナショナルクライアントさんたちがはるばる来岐して、家田紙工さんの美濃手漉き和紙制作の途中経過のチェックということで、ミーティングがありました。
 朝、家田社長に言われて駅に彼らを迎えに行くと、予定より一本早い電車に乗れたようで、彼らは揃って駅前のロータリーで待っていました。
 開口一番、彼らの一言。

「岐阜、雪、ないんですね!」

 そうなんです、今年は岐阜、雪がちっとも降りません。まさに暖冬、地球温暖化の影響ですよね。
そんな話をしながら家田紙工の本社へ。
 社長は緊張の面持ちで、漉き上がったばかりの美濃手漉き和紙を広げました。

 「うわ!凄い!」 

 彼らは一様にその透かし柄の美しさに驚く。
 こんなに綺麗だとは思っていなかった。。。。。
 そんな感じ。

 本当に、和紙は美しい。
白の魅せる深い美。静かな美。豊かな美。
 透かし和紙には、岐阜県の誇る1300年の美濃手漉き和紙の伝統技法と家田紙工の先端技術が組み合わさって出来上がった、世界唯一、ここでしか出来ない技法が使用されている。
 その時、私の脳裏に浮かんだ言葉。

「白紙も模様のうちなれば心にてふさぐべし」

 この言葉は、私の師でもある松岡正剛さんに教えていただいた。
 江戸時代の絵師、土佐光起(代表作:「北野天神縁起絵巻」「三十六歌仙図屏風」「源氏物語図屏風」など)が、『本朝画法大全』に記した言葉だ。
 その文字を見た途端に、そう!と、納得!した言葉でもある。

 白紙からは、今まさに模様が出ようとしているのだから、あえて何もかかなくても、心で描けばよいということ。
 そこには、日本の美の伝統の神髄もひそむ。

 これからさまざまな人々に開かれて行くであろう「白」という感覚。
 そこにある、ひとつの世界観やクオリティを指針に、受け取った人々の想像力を媒介として、私は世界の奥にひそむ本当の心や魂の在処のようなものを、見いだしていきたいのだと、思う。
 
 それは 「故意に何かを仕立てずにおいて、想像力にてこれを完成させる」(松岡さん談)という行為のエッセンスでもあるわけで。

 実は、人が雪を心のどこかで希求するのも、雪景色の白が伝える、白紙の模様〜心で描く模様に接したいのではないだろうか。
 少なくとも、わたしにとっての雪とは、ずっとずっと昔から、私を広大な宇宙の中の自然の一員として、静かに、大きく包み、命や時や想いの切なさを感じさせられ、そののち、私を自在な世界へと導いてくれる、重要なメディアだった。

 多分、私が和紙を好きなのもそんなところなのかな、と、残念そうに雪がないと呟く東京人(びと)たちの後ろ姿を見送りながら、あらためて思った暖冬の1日。
 もう、夜の帳が落ちて来た。


 

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Comments

お読み致しまして、「般若心経」を思い浮かべました。
「色即是空」と言う有名な言葉がありますが、文字通り「色」は「空」。
「空」ならばそこに無限の色を思い描けるわけです。

「般若心経」の中程にそれを解題した様な一句がありますので、ご紹介しす。

「心無罫凝 無罫凝故(しんむけいげい むけいげいこ)」《心に決まり切った拘り、かたより、決めつけがないと》

言わんとしていることは、親子、夫婦、上下関係とか自分自身についても、こうあるべき、こうある筈と意識しすぎると、それが壊れないかと非常に不安に駆られます。
例えば役員の世界ではハンコの順番や位置に徹底的に拘ります。その結果、捺す方も捺される方も、冷や汗が流れます。心が自由でない証拠です。
心に引かれている何本もの拘りの線を一回無くしてみよう。そうすれば不安や恐怖を免れ、ひっくり返った様な逆しまな考え方もしなくなりますと言う様な意味です。

そんな訳で、私の「般若心経」読経実践を次ぎにご紹介します。
私はアトピー性皮膚炎治療のためにステロイドを服用しています。その副作用で血糖値が上がります。糖尿病を避けるために、ここの所毎日一時間半ほど走ったり歩いたりしています。ここまでは既述です。
今はコースが確定していまして、長良川を渡り安八の前のサンヨー電気辺りまで行きます。
目標は佐吉さんが建立したお地蔵さんですが、そこで20円賽銭をあげて般若心経を詠んできます。ご先祖が建立したもので、地域でも大切に祀られていて、イイ事だなぁと思って詠んできます。

道中気が付きますと、それ以外にも十数カ所の神社やお地蔵さんの祠があるのに気が付きました。それで前を通りかかった時には、そのすべてに拝礼することにしました。
朝の挨拶運動みたいですが、だらだら仕勝ちな長距離にメリハリが出来、大変身も引き締まり楽しいものです。

「般若心経」は三箇所で、一体観音様が祀られていますので、そこでは観音経の一部を唱えてきます。

お坊さんがやるとスゴイ修行みたいですが、私はもっと軽いノリで昔の人が普通にやっていたことを普通にやるだけと思ってしています。

一つには自分の所にお参りに来て欲しいと思う以上、自分も他にお参りに行くのが礼儀ですから、お互い様です。
終了後に公園掃除、朝の食事、大仏寺での読経の順が朝の日課です。

単にジョッギングだけですと健康、健康とそんなことばかりに取り憑かれて苦しくなるのですが、お経をあげていますとそう言う意識から解放されて、毎朝気分がしゃんとして新しい一日が始まると言う爽やかな気持ちになれます。
あんまり宗教的な意味合いをアレコレ結びつけないことがコツです。但し意味は把握しないとおまじないになってしまいます。

どうやら朝からの雨も小降りになったようですので、行ってきます。

Posted by: ヒラメ | April 26, 2012 at 06:00 AM

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