極私的な話だが、私の息子は現在19歳、大学生です。
私は彼が大好きです。27歳で彼を生んで以後、彼を養育してきました。
彼には、私が女手一つで育てていることが負い目等にはならないよう、今は私にとって大切な友人でもある息子の父親とも、親子としての当たり前の関係性を保つことができるようにしてきたし、もちろん金銭的にも不自由のないように頑張ってきたつもりだ。
同時に私自身、ただ母親としてでなく、一人の人間としての「自己実現」や、「社会で<本当のこと>を追求するための、自由としがらみのない暮らしぶりを選択する」という目的を達成しながら。
私は、ずっとフリーランスで仕事をしながら、息子を育ててきた。
もちろん、ご飯を食べさせたり、快適な住環境を息子に提供するためには、私の母の力を沢山沢山借りた。
母の助けが無かったらやってこれなかっただろうと思う。ものすごく感謝している。
だからこそ、年老いていく母の支えにもならねばとも思っている。
そうして走り続けてきた「今」。
結構、体力的にも無理がたたって、このところいろいろな病院にお世話になっている。
まあ、人生の折り返し地点、「仕事」も「子育て」も一人で頑張ってきたのだから、神様が「少しは休んだって良いんだよ」と言ってくれているのかなと、今年に入って仕事のペースを落としてきた。
でも、ここまで頑張ってこれたのは、もちろん愛すべき息子の存在と、愛すべき人々の存在、そしてもうひとつ、大きな理由は、多分、『自分への信頼』だと思う。
20代の頃、倒れるまで頑張った映画制作の現場を経て、多くの人々と出会い、決して甘い汁ばかりを吸ったのではなく、さまざまな挫折や経験の中、自分を信頼する力を養ってきた。
私は、頑張れる。お金は後から必ずついてくる。
息子は私を見ていてくれる…。そんなふうに信じようと努めてきた。
自由であることの引き換えに、手にしてないモノも沢山ある。
例えば月給やボーナスとは無縁の世界。
反省もいっぱいある。特に子育てに関してはもっとこう出来れば…、との想いもある。
でも、そんな中、私という個人の力を評価し、認識し、尊重してくれる人と良い仕事をしたいと願ってきた。
その願いの強さと実現の喜びを持つ事の引き換えに、失う「安定」なんて何も怖くなかった。
ずっと頑張っているから、神様(のような何か)は私にいろいろな素晴らしいチャンスや出会いを与えてくれていると信じ、みんなが旅行にいったり、お酒を飲んだりしている間も、それなりの努力、を、してきたと思う。
本来、ナマケモノで、人と会うのが苦手だからこそ、
自分の意志でキープしてきた。
今、そんな私が45歳になって、ちょっとへばっている。
どうしようもない「体力」や「体調」の問題で。
そんな私の体のケアをしてくれているのが、リフレッシュプラザの米山さつきちゃんだったり、サロンサンエールの村瀬さんや豊田さんだったり、漢方薬剤師としても一流の後輩、伊佐地薬局の伊佐地達郎君だったり、心から信頼する精神科医の竹内先生だったり、そして最近、知った「サンリ治療院」の鍼灸師の舟橋先生だったりするのだ。
ところが、先日、長年一緒に仕事をしてきたある人に、
「今、診てもらっている鍼灸院の先生から、“お仕事だけでなく、息子さんを大学生までにしたなんて、本当に今まで頑張ってこられたのですね”と言われてすごく嬉しかった。そんなことを言われたことは無かったから」
と私が伝えたら、その人は、
「そんなこと、みんなしていることだから、普通は別に言わないんだよ」
とサラリと言った。
私はすごく悲しかった。
確かに、その人の言うように、仕事も子育てもみんなしていることだ。
でもその人は、確かに仕事は頑張っているけど、子育ては奥さんに任せっぱなしだ。
その人の奥さんは、旦那さんのお金だけで子育てをしている。
すごく残念なことだけど、その人を含め、日本の多くの男性は、「女性が子育てをしながら仕事をし続けるということが如何に大変なことか、だけどみな、黙々と頑張っている」ことを本当に理解していない、というより、そんなこと、彼らにとってどうでもいいのではないのだろうか。もちろん、そうじゃなくて理解ある、素晴らしい男性も存在することは承知の上、なのですが。
(ここ数年一緒に仕事をし、私の姿を見て、私のことを理解してくれていると思っていた人からそんな言葉が出た事自体、とても悲しかったのでちょっと感情的になってしまってゴメンナサイ…)
大声で言いたい。
「仕事」と、自分のペースでは決して物事を運んでいけない「子育て」の両立の難しさを。
子どもを持つ働く女性は、仕事をしながら子育てをしているのです!!
だからたまに、ちょっとだけでも褒めてもらったり、ねぎらってもらって、どうしていけないのか?
子育てをしていない男性なんて、もう信用しないぞ。本気でそう思った。
しかし、とっても残念なことに、その人は、私がその人の言葉でどれほど傷ついたかすら、気づいていない。
たとえ「傷ついたんですよ」と伝えたとしても、きっと「あ、そう」でおしまいだろう。彼らの意識は、深くて暗い河よりももっと深くて暗い男性と女性という性が持つ大きな違いを理解しようとする時間すら、「もったいなく、どうでもよいこと」なのだから。
そういう資質の彼らにとっての女性なんて、自分たちの経済活動のためだけに、時々必要な情報やスキルを利用して、より大きな獲物を得る道具のようなものだったのかもしれない…。
もしそうだとしたら、なんて悲しいんだろう。そこにはすでに人間愛なんて、存在しない。
そんな彼らとの恊働で、「男女共同参画社会」なんて、ほど遠い。
傷つき、うんざりしつつもバカな私は、それでもなを「仕事の意義」と「そんな彼らだって日々、頑張って生きているのだ」とか、「人間愛というものへの微かな期待」などという想いに突き動かされ、マッサージや鍼やらのお世話になりながらつかの間の元気を取り戻し、つい、一生懸命働いてしまうのだ。
結局、真の相互理解のない一部の男性(社会)との間では、彼らの想像を遥かに越える程、精神と身体が疲弊し、結果、再びケア関係者のお世話になってしまうという悪循環…。
でも、これではいけない。
そう思うね。本当に。だから、決心します、そんな環境をふたたび変える事。
相手を変えるのではなく、自分が変わること。
年の初めにも書いたけど、ずっと笑っていられる自分でいたいから。
もうこんな悲しい思いはしたくないから〜。
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