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October 2008

October 19, 2008

Sunday Holiday

20081001  昨日まで、私が企画制作をつとめている四国、高松の四国民家博物館の秋の特別企画展「形と素型展」の準備のため、四国に出張していた。
 みなで頑張り、なんとかオープンにこぎ着けました。

 みなさん、ありがとうございました&ご苦労様でした。

 昨年の、骨董会のカリスマ(であり私が尊敬する)坂田和實さんによる<民具をアートの視点で見直す>をコンセプトにした第1回企画展「くらしのかたち展」に引き続き、第2回目を迎える今回は、<民具をデザインの視点から見直す>をテーマに、折形研究所主宰で、グラフックデザイナーの山口信博さんと、デザイン評論家の羽原肅郎先生を企画ディレクターの迎え、かなりオリジナルな企画展になったと思います。

 詳細はここをご覧下さい。

 凛として、深々とした、よい展示になっています。ぜひ、お時間、ある方、ご覧下さい。
 決して損はさせません。

 そんなわけで、忙しくしていた日々だったのですが、今日は久しぶりの休日。

 天気も良いし、何もしないでいよう!と思いつつもそんな訳にも行かず。。

 午前中はメールを送ったりと朝から集中して仕事をこなし、その後、BSで米大リーグのアメリカン・リーグ優勝決定シリーズBoston Red Soxと、 Tampa Bay Rays 試合を見た。
 今までは取り立てて関心がある方ではなかったのだが、ふとしたきっかけで見るようになった。今では、Red Soxの松坂岡島、そしてRaysの岩村の活躍を見ているだけでも面白く、ドキドキ、ハラハラしながらライブ中継を見ていると、これがなかなか面白いのだ。

 私は今は、Red Soxを応援しているのだけれど、でも、対するRaysの岩村も、結構良いんですよね。表情もプレイも、本当に日本のサムライみたいで。。。

 海外で頑張っている日本人はみな、素敵です。もちろん、国内でも頑張っている人は素敵ですけど。。

 その後、部屋の掃除をしていたら、昔、購入していた毛糸がそのままになっていることに気づき、久しぶりに毛糸玉にしておこうと、くりくりやりはじめたら、これが、久しぶりなので、絡まって、絡まりまくって大変なことになってしまった。

 やっぱり物事は、はじめが肝心。最初をはしょると、結果、大変な事になるっていう見本みたいなことになった。

 絡まった毛糸ってどういう状態か、想像できる人はいるだろうか。
 (手芸をやる人は分かると思うけど)しかも、これは、極細糸だったのだ。
 でも、私はなぜか毛糸に関しては絡まったものをそのままにしておけないタチなのである。
 絡まった人間関係をそのままにしておけないと同様に(しばしば、そのままでしかいられない場合もあるけれども)。

 ということで、野球を見終わって、本当ならのんびり過ごすはずだった日曜の秋の午後、ほとんどの時間を費やして、絡まった毛糸の糸ほどきにあたってしまった。

 絡まった糸と糸の間を丁寧にほどき、丸めて行く。
 無心に、集中する。
 イライラしたらおしまいだ。
 結局、自らが招いたことなんだし。

 まるでアイスランドの先端の岬でかすかに吠える犬の紐を辿り、辿って
 探し続けているような気持で、
 気が遠くなるような膨大な毛糸のもじゃもじゃを
 整え、整え、ひたすら巻き続けた。

 そして、出来上がった毛糸玉がこれ。
0141
 最初、部屋中に蜘蛛の巣みたいに広がっていた(ちょっと大袈裟かもしれないが一時はそんな気分だったのだ)毛糸が、こんな小さくまとまってしまった。。

  一瞬、この小さき毛糸玉のために何時間も費やしたのかと思わないでもなかったけれど、
  でも、私は、満足だった。
  いや、逆に、すごくハッピーだった。

  最近、ほとんどお酒が飲めなくなってしまったけれど、もし今が夏だったら、冷たいビールで乾杯したい気分だった。

 そして次の瞬間、はたと気づいた。
 この毛糸で何を編むのか。
 そしてそんな時間が果たして私にはあるのだろうかってことを。



 
 

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October 09, 2008

ツキヲツカマエテ

昔、さべあのま という漫画家の
「地球の午后三時」という題名の作品があった。

その題名だけで、好きになれると思った。

S&Gの「四月になれば彼女は(April Come She Will)」というタイトルだけで
この曲は絶対好きだと思った。

G・オサリバンというアーティストネームと
「Alone Again」という曲名だけで、まだ一度も聴いたこともないのに
きっと良い曲に違いないと直感して、
映画の主題歌に使いたいと決めたみたいに
(実際、それは、私が20歳の頃、初監督した8ミリ映画「積木のカレンダー」のエンディング曲になった)
私にとって、ある「言葉の響き」は、絶対的な情報として
届けられる。

それは、例えば村上春樹さんの小説のほとんどすべてのタイトルもしかり。
J・ケルアックの「荒涼天使たち」もしかり。
M・カニンガムの「世界(この世)の果ての家」も、
E・フォールの「約束の地を見つめて」もしかり。


その入口のみで、‘すべて’がわかること。


子どもの頃の少ない経験値では、それが本当に「すべて」を意味したことなのかの検証ができないから、その絶対的な情報への直感をどう信じたら良いのか迷う事もしばしばだけれど(いや、逆に本当はずっと子どもの頃の方が、ぐちゃぐちゃ考えない分、信じているのだ。ちょっと知恵がついた頃が危うい)、今の私は、長年の経験の中で、誰が何と言っても、自分のその<感覚>の正しさを、知っている。

それは、ほぼ100%の確率で正しい。

敢えて言えば、私が今、私としていられるのは、まさにそのもしかしたら希有な(でも、本当は多分、希有ではなく、皆が持っているのだろうけど)才能のお陰かもしれない。

今日、我が家の渡り廊下から見上げた月は、上弦の月を越えて満月に向かう九日目の月。
最近、目が悪くなって、闇夜に浮かぶ月の光は認知できても
月自身を裸眼でツカマエル事が困難になってきた。

それでも私はじっと見つめる。

毎夜繰り返される月と星と太陽のリレー。

その宇宙の果てしない永遠の中で、
ずっと遠くの<カナタ>を想って
一瞬の中にひそむ<すべての絶対>を100%の確率として
つかまえるのだ。

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