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May 2010

May 29, 2010

久しぶりのドクショタイケン

 このところ時間があるとひたすら本を読み続けている。

 というのは、昔からの知人である編集者のIさんから最近、まとめて何冊も本をプレゼントしていただいたから。

 でも、その少し前に、一冊の本で、これほどの読書体験が出来るんだ、という境地に至った幸福かつ衝撃的な出会いがあった。それが、明治時代の黄檗宗の僧で仏教学者にして探検家でもある河口慧海師「チベット旅行記」だ。

  読み始めて止まらなくなった。眠くても読み続けたかった。ひたすらに読みふけった。魂があるとしたら、心を飛び越えてズドン、とそこを揺さぶられた。

 そんな頃、Iさんが、久しぶりに、本当に久しぶりに私を尋ねてきてくれたのだ。
 まず最初に村上春樹の話をした。「1Q84、読みましたか?」からはじまって、「私は2巻で終わっててほしかった」と言ったら、Iさんも、「僕も多分、そう思う」といった。そして春樹さんの、単行本や全集にも一切収録されていない作品である「街と、その不確かな壁」の話で盛り上がった。この小説を知っているなんて、かなりのものだ、と、Iさんは、珍しく私をほめてくれた。こうして実は、Iさんも私もすごい「ハルキニスト」であることを知ったのだ。

 その後、Iさんは、春樹さんの「我らの時代のフォークロア」が好きだと言った。私は春樹さんの小説は全部、読んでいるつもりだったのに、そのタイトルから物語を思い出せなかった。読んでいない物語もあったんだなぁと自分に驚いた。Iさんは、春樹さんの小説は、ほぼ昔から、初出誌で読んでいるそうだ。 私は大部分、本になってから読んでいる。本でない春樹さんの文章を読んだのは、先ほど述べた「街と、その不確かな壁」と、春樹さんのハーバード大学での講義原稿をインターネットで(しかも春樹さんの肉声入りで!)読んだのと、エルサレムスピーチを新聞で読んだだけかもしれない。だけど、これらをちゃんと読んでいるってのは、「やっぱりかなりのハルキニストだよ」と、Iさんは、再び言った。
 私は、エルサレムスピーチは、日本語と英語、両方で読んだ。両方とも感動した。「壁と卵」「システムと個人」。春樹さんの問題は、常に自分にリンクする、そう直結してしまうのが春樹マジックだ。

 そんなこんなで、私とIさんは、その後も、延々、あの小説はどうだ、こうだ、、という話になって、「じゃあ、東京に戻ったら、「我らの時代のフォークロア」の入っている小説も含めて、本、いろいろ送りますよ」と、言ってくれた。そう言っても本当に送ってくれる人って少ないのに、本当に翌々日には本が届いた。それもドサッと。

 で、私はそれをほぼ、今、全部、完読(なんて言葉があるのだろうか)しつつある。あと、残すところ1冊だ。

 Iさんは、佐藤正午くんの「身の上話」は、すごく面白いですよ、と言った。そしてそれも送ってくれた。その他、私が、最近読んだ本で小池昌代さんの「タタド」が面白かったと言ったら、その作家の長編「転生回遊女」も入れてくれていた。
 「身上話」も「転生回遊女」も読み終えた。「我らの時代のフォークロア」は、読み始めて、過去に読んでいたことに気がついた。あ、そうだった、とあらためておもった。「すべてが終わったあとで、王様も家来もみんな腹を抱えておお笑いしました」、そう、この一文が呪文みたいにリフレインしたとき、ずっと昔の何かがムズムズと動き始めた。

 物語は不思議だ。
 作家が何日も、もしくは何年もかけて書いた文章を、私は数時間で読み終えてしまう。そして心に深く留め置くものもあれば、そのままどこかへと流れて行くものもある。

 でも、不思議なことに、どんな物語でも、紡がれた文字列の中に、生きた映像が見えてくる。音楽や匂いやざらざらとした感触のようなものを感じることすらある。それは私が映画が好きだからかもしれないけれど、書く事と、読む事と映画や映像を見る事なら、何時間でも費やせるその世界体験を子供の頃から、当たり前に消費し続けてきた私は、これがそんなに特別なことだなって一回だって思った事はなかったんだ。
 でも。
 Iさんが、私に言った。「毎日10分は小説の事を考えて、5分は物語を書きなさい」と。
 うん。そうしようと思った。どこにいても、それは出来る。今の私でもそれは出来る。車の中でも、箱の中でも、お風呂の中でも。そして、多分、アノ不確かな街の中でも。

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