« コルシア書店の仲間たち | Main | 4月2日 »

March 25, 2012

岐阜県と、more treesと。

 

Img_00892

 

 私が3年前に望み、一歩を踏み出したこと。
 それが奇蹟みたいに実現した日。

 誰もそのはじまりが誰かなんて、知らなくても良い。
 でも、それは、
 確かに、3年前のあの瞬間の、
 閃きにも似た私の一歩から、このプロジェクトははじまったんだ。

 私は、その夜、長良川を見ていた。

 金華山は闇に沈み
 月灯りだけが川面をキラキラと照らしていた。
 自転車を片手に右岸道路に佇みながら、
 その時、私は、一ヶ月程前にものすごく無防備に飛び込んだ、
 まったく新しい組織の中で、
 やるべきミッションについて悩み、漠然と考えていた。

 滔々と流れる長良川。

 その源流まで意識を飛ばす。夜の空をぐっと、深く。
 そこにある、森。源流の森。
 すべてがつながっている。

 その時、数ヶ月前に読んだ新聞の特集記事がふわっと浮かんできた。

 その記事は、北海道下川町の森が「more treesの森」第4号に認定され、
 坂本龍一さんが現地を訪れた様子とともに、
 何故、坂本さんが森の再生に取り組んでいるのか、などについて自然体の文体で書かれたインタビュー記事だった。

 坂本さんが(多分朝の)ニューヨークの街並を歩く写真とともに掲載されていて、「エコはファッション」でいい、と見出しにあった。

 その記事を読んだ時、私は、まるでデジャブにも似た、いや、デジャブにしたい気持ちで、
「岐阜にもmore treesの森を!」と想い、

 その場所にいつか、きっと「坂本さんが訪れる日」が来る事をイメージした。

 「もっと、木々を!」

 なんて素敵でシンプルな言葉だろう。

 そう、想い、森の深さ、豊かさ、それが目の前の滔々と流れる長良川につながっていることを、再び全身で感じながら
 自転車を走らせようとしていたその瞬間に、 
 「one more stay,one more trees」
 という言葉が降って来たのだ。

 最初は、岐阜をいつもより1泊多く旅したら、その分、岐阜に木を1本植よう、
 そんなプロジェクトを作ろうと思った。

 でも、よくよく考え、そして調べていくと、植林も大切だけど、
 今、必要なのは間伐すること。。
 その材を、財に変えて、循環させて、
 本物の、持続可能な森、川、海、そして人やあらゆる生き物との循環型社会を
 つくること。。そういうことも実感として分かって来た。

 じゃあ、今、岐阜県の森林行政はどうなっているんだろう。
 私の観光交流事業と結びつけていけるのだろうか・・。

 そんなこんなを考えながら、スタッフにプレゼンし、プロジェクト化にむけて
 試行錯誤の日々。

 それから、3年。
 本当に多くの時間と、スタッフの努力と、多くの人々のつながりと、

 みんなの汗と、思いと、努力が実って、
 岐阜県の加子母と東白川という二つの地域で「more treesの森」が誕生し、
 そして、自然を活用した「都市と森をつなぐ交流モデル」を構築するための
 「連携に関する包括協定」が、一昨日の2012年3月23日、坂本さんをお迎えして、
 岐阜県「more trees」とで締結することができたのだ。

 坂本龍一さんに、岐阜県を見てほしい、知ってほしい。
 more treesが、掲げる理念は、岐阜県でこそ、実践したい。

 そんな気持ちがスタートだったこの一歩。

 そして今、
 もはや私の最初の思いを超えた、多くの人々の理念や、行動の結実としての
 アクションがはじまって、動いている。

 すごい動き、静かだけど、すごいうねり。

 私の最初の思いを遥かに超えた、そんな<現実>が生じている事。
 あらためて、ひとり、静かに、深く、感動する。

 だって、もう知らないところで、本当にいろいろな人々が
 自分のプロジェクト、として、動いて、それが形になっているのだ。
 ほとんど、最初にイメージした通り、いや、もっとそれを超えて。

 すべてが自然に、流れて、つながって、ぶつかったりしながらも
 ベストなタイミングで、ひとつ、ひとつ、
 ひと節、ひと節づつ、まさに年輪みたいに刻まれて行く。

 東白川の森の看板の前では、坂本さんと、村の子供たちが即興的な、音を響かせた。
 そのときの子どもたちは、そのはじまりなんてまったく知らない。
 知らないからこそ、貴重なのだ。

 私は、そう思うだけで胸が篤くなった。

 世界はこうして動いて行く。
 命や、想いは知らないうちに紡がれて行く。

 子どもたちには、でも、あの寒空の中の演奏や、
 どうして今、自分たちがそこにいるのか、について、
 いつか、きっと、その森のめぐみについて
 あの場所で、世界的音楽家が突然のことにも関わらず、マネージャーがさっと差し出したホカロンで指を温めながらトイピアノに真摯に向き合う姿と、ともにした時間について。

Img_01061_2  

 奇蹟のようなこの二日間、その時を
 何故だか、ずっと降り続いた雨や、雹や、寒さの中、
 自宅に戻って、すっかり寝込んでしまった自分の精神と魂と体の声として、

 それは、私だけでなく、そこにいた誰もが、
 きっと、一生、忘れないだろう。

 そして私は、今、想う。
 大好きなメイ・サートンの言葉を。
 「Plant dreaming deep〜夢見つつ、深く植えよ」

 みんな、本当に、ありがとうございました。

|

« コルシア書店の仲間たち | Main | 4月2日 »

「心と体」カテゴリの記事

「文化・芸術」カテゴリの記事

「旅行・地域」カテゴリの記事

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

「趣味」カテゴリの記事

「音楽」カテゴリの記事

Comments

マージ商品探しをしていた頃(1年目か2年目)オークヴィレッジのHPで「more trees」を知りました。きっとこれがもっと大きなことになるって信じていました。そして先日、テレビで坂本さんのことを見た時にやっぱり間違いなかったと思いました。それから、登山シーズンには弟が白山で山小屋(白水湖畔ロッジ)の管理人をしていることにも何か不思議なものを感じていました。あそこはやっぱり山の神さまに会える場所だと感じます。冷たくて美味しい水とその美しさ、周辺の樹々や草花、いきもの、みんなが本当に美しい場所で大好きなところです。仕事、私は契約終了しましたが、自分の暮らしている場所・岐阜がさらに好きになりました。私が出来る方法で岐阜の素敵なモノ・コト・ヒトを伝えていくことは続けていきます。自分の信じることをやめないで良かったです。

追伸:なかなかお会いできないし、二月末のブログを読んで、お元気だろうか…と、とても心配していました。ちょっと安心しました。

Posted by: ジュンコ | March 26, 2012 at 02:36 AM

【気になる「キ」 2001 6/4 真弓香さんについて】

先ず標題の前に、歴史的な事業に参画され、敬意を表します。又、坂本龍一氏の様な世界レベルで語られる方を岐阜県にお呼びするには大変な御労苦を払われたに違いありませんので、暫くは安養をお図りになられます様に。
坂本龍一氏(龍は今年の干支ですね)の記憶、昔、本当に昔、何しろ前田武彦が司会していた歌番組ですから、忌野清志郎と「いけないルージュマジック」をドゥエットで出演していました。ぼろ服を何枚も重ね着た様な何とも訳の分からない服装で、且つ又けばけばしく化粧して、カルチャーショック。
それから「ラストエンペラー」の甘粕(位失念)役。存在感抜群でした。目つきと言いますか。タレントさんには余り見あたらない知性が輝いていました。
私と歳は同じ位ですが、こう言う天才とは彼我を比べてみても意味がないわけで、すべてにわたり、足もとに及ばない。
唯一私の方が上なのは顔位ですかね。そう思いさえすれば、世界に最低一人いるわけです。

真弓香著「パワーゾーン」をアマゾンで買って見ました。原理的には今流行の「パワースポット」と同じかなと思いました。
今だから言いますが、私のパワースポットは「ストリップ劇場」。年休を取って名古屋「鶴舞劇場」へ行くのが私の教員時代の一番楽しい思い出であります。
私の場合、自意識過剰で言葉疲れをしていますから、ソウでない世界がパワースポットになるのですが、又その時のニーズ次第で、人それぞれに、自己に意味を与える言葉を附与したり、頭がゴチャゴチャして森に入ってしまった様な気分の時には、上下左右の線を引き世界像を構築させ、精神を安定させる事が、勇気と希望を与える場合もあると思います。
余談ですが、大仏のお堂の中に記帳ノートをおいてあるのですが、「私は占い師ですが最近悩んでいます」と書かれた文面を見つけた事があります。占い師が自分の言葉に疑いを持ち始めたらそりゃ悩むでしょう。
又、何を勘違いされたか、占って欲しいと云う方に遭遇した事も有ります。60前後の女性で、内容は「夫が浮気しているかどうか?」
引き取って貰うのに延々三時間以上。寒い時でトイレを我慢するのに必死でした。
私「お金を出せばちゃんと言ってくれる人がいますよ」。女性〈既に行った。夫は信頼できるとの答え〉「ほんなら、そんで良いではないか」〈あなたの口から同じことを言って欲しい。そうすると安心できる〉あまつさえ〈私は一瞬でも夫が他の女を思い浮かべるようなことは許せない。夫も約束している。信じてもイイでしょうか?〉
「鏡をみたらどうか!」と叫びたかった私でした。
女房に到っては、「警察の人は、息子は事故死と言っているが、殺されたのでないかみて欲しい」と言われた事があります。宜保愛子じゃあるまいし。(続く)

Posted by: ヒラメ1 | March 27, 2012 at 12:28 AM

少し思い出した事がありますので、寝る前に付記します。多分中沢新一もその理論を言っていると思いますが、真弓香の占いの本質的意味は、「死と再生」の考え方に則ると思います。
ご本人は意識されていませんが、結果としてそう言う働きをしていると考えられます。
これは、ご存じでしたら釈迦に説法ですが、ミッチェルエリアーデと言う宗教学者の説明ですが、人生は生まれてから死ぬまで、のっぺら棒の様に同じ時間がずっと続くのでは耐えられない。
そこで成人、結婚、相続と言った区切りを作って、その度事に、古い自分は死に新しい人間として生まれ変わる。生へのエネルギーも生み出されると共に、時間にも意味が生まれてくる。死と再生を人生は繰り返す。
日本では正月はまさに国民揃ってそんな気になります。
Ms.Fも不惑を前にしたこの時期、一つの人生上の区切りを求めておられる様に感じました。
そう言う意味では占いが具体的に当たるかどうかと言う事は二義的な事です。

Posted by: ヒラメ2 | March 27, 2012 at 12:55 AM

ジュンコちゃん、ヒラメさん

コメント、ありがとうございました。

ジュンコちゃん、仕事、やり遂げられてよかった。頑張ったね。
おめでとう!!
まずは、それが一歩じゃないかな。
そして、そこで得たもの(良い事も、あまりよくなかったことも)を、自分への課題として次に活かす。
すべては自分の反映であるっていう姿勢で見つめてチャレンジすれば、きっと<良い未来>がやってくるよ。ぜったい。

ヒラメさん

卒業や区切りは、人生に大切ですよね。大人になると、それを自分でしなければならないのです。そう、常に死と再生の循環があればこそ、新しい自分で、いられるから、ですね。

ありがとうございます。
4月には一度、お邪魔したいと想っています。

Posted by: nf | March 27, 2012 at 06:41 AM

この項の最後に、かつて疑問に思った事で、Ms.Fへコメントさせて頂くに当たり、本を読んだり文を綴る中で浮かんだ発想がありますので、記載させて頂きます。

オーム真理教の信者に多くの高学歴の方がいて、その中に少なからず理数系の人が含まれている事に、驚きのコメントが呈せられていた事を覚えておみえでしょうか。私は印象深く記憶していて、何となく理解できる様な出来ない様な気持ちになりました。
この件はずっと忘れていたのですが、先日頃こういう風に考えられないかと思ったのであります。
普通に考えますと、高学歴の理数系の方達が常識的には納得出来ない教義を含んだ宗教を信じ込んでしまうのは確かに変です。彼らは判断力が優れているし、科学的実証性を尊ぶ筈だからであります。知識量とそれを表現する語彙も豊富です。
この「何故か?」という疑問と、Ms.Fが偶々記事に挙げられていた中沢新一が結びつきました。
麻原教祖自身もそうであったと聞き及んでいますが、オーム真理教の核心部分に中沢新一のチベット密教の体験的紹介が強い影響力を持てた原因は何所にあるのか?二つの何故が一つの考え方に結びついたのです。

もう一度「普通に考えますと」、摩訶不思議な教義に取り憑かれ、スーパーマンになる事を夢見るのは、文系取り分け「赤毛のアン」の申し子とも言うべき、物語系の人間でないかと思われます。何故ならば、物語で育った人間は、空相世界が非常に大きな位置付けを
占め、その実在性を半ば信じているからです。

あくまで私感ですが、逆である事に気付きました。
少し事件という現象面を外して考えたいのですが、人間と言葉の関係を捉えてみたいのです。
上手く表現できませんが、言葉の使用法と言いますか、言葉の精神に及ぼす個々の違いと言いますか、そう言う事なのです。

現実には人それぞれ違いますから図式的な事は言えませんが、説明の必要上ステレオタイプ的な表現をします。間違いは遠慮無くご指摘下さい。

【文系の人は言葉が非常に多義的象徴的に作用します。
一方理系の人は、言葉が曖昧性を持たず、誤解の余地のない一対一対応の明晰な表現を理想とします。】

「私はあなたが嫌い」と言う事の本当の意味は、「憎らしいほど好き」かも知れませんし、「あなたの火顔など二度と見たくありません」は場合によれば「別れるのは死ぬほど辛い」を意味している事も少なくありません。私達がこの様な言葉の表面的意味とは真反対の言葉を使ったり、理解したり出来るのは、その使用現場に幼少の頃より何度も立ち会っているからです。それが文学と呼ばれる世界です。

Posted by: ヒラメ3 | March 27, 2012 at 10:26 AM

一方科学的実証の世界では、曖昧性を排除しなければいけませんし、materialなfactsに反する事であれば、否定しなければなりません。
説明の都合上、理系と文系と言う言い方で区別しているのですが、どちらが正しいかと言う事でなく、言葉がどの様なものとして存在しているのか違いです。
唯、文系的発想をするためには、文学に慣れ親しんでいないと無理です。言うまでもなくこれは本を読むだけでなく、映画やテレビ、講演や演劇等様々な形で身につく事ですが、一番効率的には読書かなとは思います。

文系人間は物理的法則に反した摩訶不思議な事を聞かされても、それも時によりけりで、自然科学の法則には反しているけれど人間の心の中では真実であると受け入れる事が出来ます。
実証科学の世界ではこれは通じません。

私は毎日「観音経」を詠んでいますが、書いてある事は目茶苦茶です。「悪人が取り囲んで刀で斬りつけようとしても、観音様を念じれば、悪人に慈悲心が起こりますし、又、殺されるかと思った時には刀がぼろぼろに砕けてしまいます」と言う様な馬鹿げた。でも観音様の慈悲の心につつまれていると思うと本当にソウかなという気にもなりますし、人間における慈悲の心の大切さも、学び取る事が出来ます。
しかし山伏修行なんかですと、本当に火渡りをやってみなければいけません。実証しなければいけないわけです。これがたまさか火傷も無しに見事成功しますと、絶対的事実として一人歩きし、超能力の持ち主として崇め立てられる事になります。

元に戻しますが、理系の人は言葉の多義的象徴的使用法に慣れておらず、チョット不思議な事を見せつけられますと、超能力の持ち主に思え、自分もそれを身につけて現在陥っている閉塞状況を打破したいと考えるに到ったのでないかと思えます。
中沢新一「チベットのモーツアルト」も、これをフィールドワークを基盤とした学術研究書と捉えたらトンデモ本としか言い様がないものですが、文学に新しい題材を開いた書と捉えれば傑作だと思います。
氏にすれば、読者が文学用語法に慣れている事を前提にしておられるのでしょうから、文字通り捉えられても困ると仰りたいのでしょうけど。

宗教言語は文学言語以上に、危険を伴いますので、小・中学校の教室で教えられないようなことは口にしてはいけないと自戒しています。
まとまりませんでしたが、以上です。

次回は「哲学者のカフェ」を読了後に書かせて頂きます。アマゾンですから安く買っています。経済波及効果では大したことはありませんが、リサイクルには貢献です。

Posted by: ヒラメ4 | March 27, 2012 at 11:19 AM

【気になる「キ」哲学者のカフェに寄せて】

私達はよく、「子ども時代学校の先生はオシッコするのだろうかよ思った」と言う話を聞かせれます。これは学校の先生が偉かった時代の話ではありますが。
田辺聖子も同じで、親に楠木正行さんに付いて同趣旨の質問を投げかけたそうです。
歴史上の偉人に対しては、最初から飛び抜けた存在として知りますので、自分とはかけ離れたアールマイティの完全無欠として捉えてしまいます。
実際にはそんな事はあり得ないので、その専門領域では天才なんでしょうが、それ以外の特に人間的側面では一般人と同じで、悩んだり躓いたりする事において普通と言えます。
その専門領域においても、最初から天才であるわけなく、歴史年表に載るまで多くの試行錯誤があった事を忘れてはならないと思います。
神様としてでなく同じ人間として捉える事により、共感できますし、天才の営為に及ばなくても、生き方については学ぶ事が出来、翻って自分の人生の歩みに生かす事が出来る様になると思います。
信仰についてもそうで、私は「帰依」よりも「共感」と思っています。
この「哲学者のカフェ」は、祭壇に祀られている歴史上の哲学者を普段着で利用する気楽なカフェに出現させ、人間として扱われる姿を記述する方針で一貫しています。
中身よりも文章に値打ち・特徴があるのでないでしょうか。

次ぎに今のお立場に移られる前の、プロドゥーサ-として大活躍された頃の話題に移らせて頂きます。
ダンダン現在に近づいて参ります。それでは。

Posted by: ヒラメ | March 31, 2012 at 01:52 AM

【Recently Works ~最近の仕事~】へ

・素晴らしい数々の企画、さぞかし充実した時間を過ごされたのではないでしょうか。
規模は雲泥の差ですが、私自身もいろいろな事をやってみまして、自分でやると言う事は、聴衆とか観客という立場とは、全然違うなと感じました。
皆様方のお陰でよい時間を持つ事が出来たわけです。
Ms.Fの企画で何より素晴らしいと思いましたことは地元岐阜市に立脚された点です。
東京とか名古屋の方が派手で耳目も惹きますが、古里は時間に厚みをもたらしてくれます。
霊魂など信じなくても、先祖も育った街。長良川周辺の者ならば、幼い頃の海水浴の想い出、長良橋を往来する市街電車の移り変わり、篝火床しい鵜飼、江戸時代にはいろいろな舟や筏で賑わった川原町。
これらの思いは単に一人だけでなく古里を同じくする者にとって共通する宝物です。
和紙とか提灯とか岐阜の伝統文化にも則っておられます。そう言ったことは、大いに若い人に繋いでいってもらいたいものです。

・私の方は友人の版画家の県美収蔵展示を記念して羽島文化センターの無料会場を利用して、7月から八月にかけて久しぶりに展示会を行います。
それ以外に、創作能「竹鼻の大仏」に向けての取り組み、もし可能なら市立図書館とタイアップして何らかの永田佐吉顕彰展を行えたらと思っております。

私一人では出来ませんが、将来的には盆踊りを復活できないかなと願っております。
子どもの頃は、商店街の方達は希望と意欲に燃え、様々な事業に取り組んでいました。
盆踊りもその一つ。
まだ舗装されていない市街地道路に水を打ち、当時は贅沢品の蓄音機の音色に合わせて、老若男女相乱れ「炭坑節」や「郡上音頭」に竹鼻オリジナルの「竹鼻音頭」を加えて、輪になって踊った半世紀前のウキウキした夏の宵。
高齢者が懐かしいだけでなく、若い人も子どもきっと楽しかろうと思います。
近所のオッさんの言う事には、今羽島でそんな元気な人は私一人で、相次ぐ不況で悄然としているのが現況だそうです。
だったら、そう言う鬱積を、盆踊りに洗い流して、元気を取り戻すことが尚更必要だと思います。
よくよく考えれば、当時は一ドル360円。月給1万円に手が届いていた若者が如何ほど居たのか。至る所に貧しさが存在していた日本であったのです。
盆踊りは今の所夢みたいなお話です。
現在は昨年自粛した竹鼻祭りを盛り上げるべく町民の一人として尽力したいと思っております。
今年は、国体協賛で全山車十三両総曳きします。大きさは高山屋台に負けますが、幕の方は、遥かに上です。それに宝暦時代から大正時代にかけて町内事にバラバラですから、飽きが来ません。
チョット関心を持って頂ければ幸いです。

Posted by: ヒラメ | March 31, 2012 at 02:37 PM

【はじめまして、始めまして July 20】

文を書くと言うことは、人に向かって書いている様で実は自分に言い聞かせている場合が多い。
エッセイは殆どそうで、生き方を説く著名な方、自分では出来ないことを結構説教しておられる。
それでイイと思います。
私も沢山のコメントを書き、Ms.Fには重いものを投げかけご迷惑をお掛けしているかも知れませんが、自分に向かって言っているだけで、それでも思いが頭の中をグルグル・グルグル廻っているだけと、一端外に出してみるのとは違いますので、軽く!カルゥーク!!お取り扱い下さいます様に。

さて、【はじめまして、始めまして】はMs.Fが新たに始め今日まで続けておられる「叫ぶ声は、彼方」の初回です。
時は2004年、平成の御代16年の7月20日。
この時点ではこれから私が読ませて頂く一切のことを、Ms.Fも全く知られなかったわけです。
しかし過去があって今がある。
お書きになっておられる一行一行が、掛け替えのない人生の一時一時を構成しています。
出来ればイイ過去でありたい!
そんな、過ぎてしまった過去の事など変えようがないではないかと思われる方が居られたら大間違い。
自分の過去は今の自分が作り上げるものであり、現在の気分次第で回想は懐かしくもなり、恨みにも変わります。
そして自分自身が、イイ人、イイ土地、イイ時間に育まれて今日まで生きてきたのだと気付くことが出来たとしたならば、未来に向かっても勇気と希望が湧こうと言うモノです。

時あたかも4月1日、四辺には白くてやわらかい雲。
天空にかけてスカイブルーが拡がっている。
窓からはキリっと冷たい早春の風が、サラリと吹き込んでいます。

貴女に取りまして、佳き一年になります事を!

Posted by: ヒラメ | April 01, 2012 at 12:16 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/44514/54306562

Listed below are links to weblogs that reference 岐阜県と、more treesと。:

« コルシア書店の仲間たち | Main | 4月2日 »