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March 10, 2012

お知らせです

みなさん、こんにちは

次第に春めいてきましたが、それに比例して花粉症が。。。でも、

めげないでがんばろ〜。

せっかく季節も明るくなってきましたので心も明るく、前向きに、私らしく、自由自在に軽やかに!!

 

ところで、、

最近、私のブログを読んでいただき、頻繁に感想などを
かき込んでいただけている<ヒラメ>さんから、
ご自身が企画をされた展覧会のご案内などをいただきましたので、
コメント欄に入れるよりも、こちらで
ご紹介した方が、
(数少ない)私のブログの読者の方にもお伝えできるかと想いまして、
ご紹介します。

いただいたブログのメッセージ文は、私の方で抜粋させていただいています。

なを、<ヒラメ>さんについてご興味のある方は、 こちらをご覧になるか、検索エンジンで、<岐阜><羽島><佐吉大仏>などで
検索されますと良いかと思います。

私も佐吉大仏や、花祭りは行けたら良いな〜と思っています。

では〜また

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

○羽島の<ヒラメさん>より○

☆私は平成20年10月にお世話になっている尼僧の墨絵の展示会を、羽島市文化センターで行ったのを皮切りに、ほぼ二年間に数多くの展示会を企画しました。

①佐吉大仏の建立者永田佐吉に関する展示会4回

②尼僧の墨絵展(会場には尼僧の生け花をあしらう)3回
③木版画家堀江良一氏の展示会7回

これらの展示会に関する事は殆ど私一人で行いました。費用も私持ちで、版画は寄贈されたものもありますが相当数購入しました。

墨絵もそうですがコレクション展です。
上記の①は進んでですが、その他はやらなければいけない様な気持ちになって行ったという不思議な展示会です。 
しかしそのお陰で美術には興味関心の無かった私が、自分で行う事によって、相当深く知る事が出来る様になり、良かったと思います。

展示会はお金も時間も相当かかりますので今は休んでいますが、その替わり大仏寺のお堂と横にあるお茶所の中を経験を生かしてレイアウトしています。

是非見学に来て下さい。結構スゴイですよ!

☆次に、イベントに類する事で私が始めた事に、お釈迦様の誕生を祝う花祭りがあります。

これは子どもの頃、祖母が行っていたもので、近所から多くの方がみえました。
当時はまだ貧しく、やかんを持って甘茶を貰いに来られる方もいました。
私はその行事が大変懐かしい想い出として残っていました。
特にその前日、厨子の屋根を飾るために近くの野辺に祖母と共に蓮華の花を摘みに行った事が忘れられません。
そう言った私の懐旧の念と共に、今の人達、取り分け子ども達に、花祭りがあると言う事を体験的に知って頂きたいという願いから復活しました。

三年前の事ですが、数十年ぶりの復活で大変苦労しました。
出来る限り昔通りに行いたかったので、格別、蓮華の花と甘茶の確保が至難でした。

蓮華は羽島の外れの桑原町の農家で、甘茶は四国の漢方薬局から手に入れました。
一年目は祭りの日に合わせましたので、用意した数百の紙コップがあらかた無くなりました。

今年は4月29日を予定していますので、本物とは何かをお知りになられたい方はぜひ羽島市大仏寺にお越し下さい。

☆次ぎに来年2月を目指して行っている事を記させて頂きます。
それは創作能「竹鼻の大仏」(仮題)の上演です。

これは文化庁の地域活性化事業にも認可されて行うもので、
市民芸術祭のメインを飾るものです。
京都の金剛流にお願いし、専門の方をお迎えして行いますので、超本格的です。

又竹鼻小学校の能クラブでも上演する予定です。
この二つは羽島市文化センターを会場にしますが、もう一箇所有ります。
それはボランティアを募って行うもので、この舞台は大仏寺堂内、言わば佐吉大仏への奉納と言えます。考えるだにスリリングな企画です。
今は準備委員会の段階で、今月シナリオ完成予定。
来月から本格的な始動です。
お能と言うのは全国でもそう無いのではないでしょうか。是非関心を持って下さいます様にお願い申し上げます!

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【フルタいむマーカー】
(2001 6/7 つながり、ツナガリ)について

『日々、楽しく仕事をしようと思ってはいるのですが、もちろん現実はそんなことばかりではない。だから身体もこわすし、心も壊れる。そんな時にはとにかく空を見て、自分を客観視しようと務めつつ、ひたする、ぼけっと、空を見る。しばらくすると(中略)私の心は少しずつリラックスしはじめ、いろんなネガティブな思いで固まっていた気持ちも緩み、その瞬間に風が吹き始める』
引用した素直で自然な心の動きを有りのママ綴った文章で始まる「つながり、ツナガリ」は「フルタいむワーカー」九篇全体の中で白眉とも言うべき、心打つエッセイです。
私の感想の前に、風を感じたMs.Fがどのように行動に出始めるかエッセイの流れを追ってみたい。
彼女は先ず『一人であれこれ考えていると、自分の置かれた状態が、どうしても変わらない状況だとか(中略)孤立無援だとか自分で勝手に決めてかかってしまう。でも本当は、すごくいろいろなモノやコトや人とのつながりの中で生かされているという、まぎれもない現実の中で私達は生きている』事に気付く。
そして気持ちも『・・・ポジティブ連鎖が始まれば、私の落ち込みはいつの間にか、ワクワクモード』に変化する。
ワクワクモードに転換したMs.Fは仲間に連携を取り『飛び切り素適なコンサートを企画する話』をする。
Ms.Fはこのエッセイを次の三つの文で締めています。
『私はKさんとNさんの二人の顔を見ながら、何だか妙なデジャブ感(既視感)に襲われていた。
ゆるやかな風が部屋をとおり抜け、時間と空間がふわっと通り過ぎていく。まるで今日の空の様に。』
私も空を見た想い出があります。それは二十代の頃、県立加茂高校の担任クラスの教室の窓から、放課後の一息ついた時間。『青い空に白い雲 我が心誰か知る』当番日誌を開き、担任欄にそう記入しました。そんな事を書く教員は、不適応教員に違いありません。
Ms.Fはつながりを、私は孤独を感じました。全く逆ですが、でも同じです。
それは空を眺めるとは自分の心を眺める事と同義であると言うことです。
私達はいつも固定観念に縛られ、人間関係にとらわれ、自由がきかない固まった考え方に陥り勝ちです。それは、その時だけの特定の条件下で悩んだり苦しんだりしていることが多いのですが、不安や苦しみが強いとそこから逃げだそうとして、反って状況が悪くなることが少なくありません。
そんな時には少し目線を変えて、拡がりのある自然の中で自分を捉え直してみると、忘れられていた自分や楽しかったことや懐かしかったことが浮かんできて、よりバランスの取れた自分として蘇ることが出来ます。
狭い時の自分より、より自分に合った方向性が見出され、勇気と希望の灯りも点り始めます。
最後に【客観視】と言う言葉について。イメージ的に捉えますと、感情に走らず理性的に世の中の動きを冷静に見る態度の様に思いますが、Ms.Fの考えはそれとは別にあると思いました。
感情は、人間にとって、理性や知性以上に大切なものですから、世の中の動きや評判に合わせて、無理に感情を押しつぶそうとはせずに、感じたことを丁寧に拾い上げていくことの方が客観的な態度と言えます。すると自分自身に豊かな感情が内包されていることに気付くはずです。
それは同時に、自分自身を取り戻す瞬間だと思います。

Posted by: ヒラメ | March 11, 2012 03:15 AM

【フルタいむワーカー2001 6/11】 シンプルな基本

これは2001年6月8日大阪の小学校で起きた殺傷事件について書かれたものです。
発生直後のご感想であることを念頭に置いて読む必要があると思います。
私もこの事件では強い憤りと悲しみでやりきれない思いになりました。何と言いましても、犯人とは関係がないまだ保護が必要な罪のない子ども達が犠牲になったことに対し、そんな理不尽なことがあってよいものか!と強く思わざるを得ませんでした。

この事件に関連して思ったことを記させて頂きます。
私は犯人は充分な言語の習得とその正しい運用が出来ていないと思わざるを得ません。
筋道を立てて考える習慣が身についていれば、そこから完全に外れたことは
やっても意味がなくなりますし、考える過程において、もやもやした部分の整理が付き、激しい感情は軽減される筈です。
結論として、学校教育も短期的に目に見える成果ばかり追わず、特に幼稚園や小学校の様な初期教育では、言葉を教える事が一番重要であるという認識を持って頂きたいと思います。
と、マア、こう書きますと漢字を幾つ覚えたとか、作文に誤りがないとか、要するに点数化できることとしてしか捉えて頂けない事も分かっていて、通じないことはもどかしい限りです。
言葉を教えると言う事は何も国語だけの役割でなく、体育も音楽も絶えず言葉と共にあると言う事を・・・分かって頂くことは・・・無理ですかねぇ!?
本を読むだけが言葉を身につける道だとは思いませんが、先生方自身が自分のlife全体を、言葉で説明できる様に訓練して頂きたいと思います。
「先ずは自分自身を見つめよ」・・・何ですが▽

Posted by: ヒラメ | March 12, 2012 06:10 AM

【フルタいむワーカー 2001 6/18】 おいしい生活

人間は区切りの時を迎えると、それまでを反省したり行く末を占ったりするようです。
特に40歳は昔より「不惑の歳」と言われ、格別感慨を新たにされる方が少なくありません。
実際、不惑を前にMs.Fは『自ら心を閉ざしてど~~~すんのよ!?もっと頑張らなきゃ、頑張れるよね!』と己に叱咤激励されています。
(~)が三回も繰り返されています。余程気合いを入れておられる証拠です。

私の場合ですが、昨年60歳になり、打ちひしがれて、しばらく立ち直れませんでした。
ムカ~~~シ視たテレビを思い出します。詩人の田村隆一が出演し「今年僕は60になり、とても嬉しいんだよ」と言ってポケットからタバコを出し美味しそうに一服吸いました。私の場合は悄然として一服です。タバコの味も苦く、百円ライターであったことが詩人と唯一の共通点でした。

以上は前置き。「おいしい生活」の一番印象的な表現は最後の部分です。
『工藤さんは「40代は、今までの実りを受け取る時期でもあるのよ」とも言ってくれました。その時、私は、たわわに実った真っ赤な林檎の樹を想像しました。』
『たわわに実った真っ赤な林檎の樹』!スゴイですネ。林檎ではなく林檎の樹、しかも《た☆わ☆わ》。

自分を一体何に喩えるか?こんな文を読めば当然そんな思いに誘われます。
葡萄・カ・ナ?穫り入れは疾うに終わり、隅に忘れ去られ表面の色は艶を失いコチンとぶら下がる一房。
動物の場合に喩えると、ヒラメ?、これは二十代の高校教師時代、クラスの生徒から顔がそっくりと言う理由で付けられたあだ名。喩えではなく現物ソックリ。
今の憧れの動物としましては遠足で行った東山動物園でしばしばお会いした「カバ」。ひっくり返せば「バカ」ですが、こちらの方にも憧れております。

最後にもう一度Ms.Fに戻りまして、ラストセンテンスを引用します。『う~~ん、おいしい生活、夢見つつ、深く植えよ!だね。』
バームテストと言うのがありまして、精神科に行くとやらされるのですが「実がある木を描け」と言われます。診断ポイントの一つが根があるか否か。根を描ける人は、自分の生活基盤がしっかりしていて、大体こんな方は精神科には殆ど存在しません。
『たわわに実った』から始まり、まるでバームテストを見る様な「おいしい生活」でした。


Posted by: ヒラメ | March 13, 2012 05:44 AM

【フルタいむワーカー2001 6/26】信頼のバトンに寄せて

フト思う事ですが、この「フルタいむワーカー」は比較的短期間にポイントを絞り一連の流れの中で書かれているのでないでしょうか。
言わば人生の中仕切りの様なものとして、生き方の基盤となる考え方について、文章として綴ったものと要約できます。

これは意図的と言うよりむしろ集中して考える自然の流れの中で、そうなって行ったと思います。

又、具体的内容はMs.Fが企画された催しが中心ですが、いつもご自身の内面洞察を疎かにされないので、一つの洞察が新たな問題意識を生み、それに伴い発想も深化や拡がりが窺われ、一続きのエッセイとして読み応えがあるものとなっています。

以上は、個人的見解ですが、私としてはその様に読まさせて頂いております。

さて、今回は「信頼のバトン」。ちょっとステキなタイトルです。
三回前に「つながり、ツナガリ。」のタイトルでお書きになられたのですが、相互の信頼感があればこそつながりへの積極的な態度へとツナガッて参ります。

そこで今回は、「信頼」について、今朝の散歩(大変寒ぅ御座いました)をしながら私なりに考えてみたことを述べさせていただきます。

《ここで旧友(加茂高校の同僚)の郷土史家の尾関章氏より電話がかかってきましたので一旦中段です。
電話内容は、今朝(3月14日)の岐阜新聞一面に美しい金華山朝焼け写真と共に、彼の研究成果の一端が紹介されているという目出度いものでした。ご覧下されば幸いです。
彼とは名前が同じであるだけでなく、誕生日も一緒とと、これはツナガリというべきか、トモカク奇遇!》

Posted by: ヒラメ1 | March 14, 2012 09:36 AM

「人は信頼に足るか?」とずっと考え続けました。

煎じ詰めれば、結局、自分と言う事になります。
ですから(人)の所に(自分自身)を入れて、もう一度問い直す必要があります。結論は、‘いい加減で当てにならない’としか言い様がありません。

もし「アナタを信頼しています」と面と向かって言われたとしたならば、「チョット待って下さい」と慌てて言い返さねばなりません。

そう言う事が分かっていますので、他人を信頼できるか否かと言いましても、そもそもこの信頼できるという気持ちを信頼して良いかどうかさえ判然としません。
そんな訳で出来るだけ断定的なことは口にしない様にしていますが、更に心の中まで追求しますと、その時ばったりの如何に多いことか!

唯、振り返り見て、私は私として一貫性はあった様に思います。これは信念や行動の一貫性と言う意味合いでは決して無く、「私は私であって私以外の何物でもないと言う感覚」が絶えずあったと言う事です。この感覚は時に集団適合と言う点で、悩みの原因になります。外界との調和の取れた関係が中々持てません。

以上は私に関する事ですが、よくよく考えれば、他の人もみんな同じで、外界との関係の中で、自己と言うのは存在しています。私の様に自我意識の強すぎる人もいれば、外界に自己存在感を依拠し過ぎている方もおられる様です。しかし、大きく人間理解の観点に立てば、程度の違いかなとも思えてきます。

そう考えますと、信頼感というのは、その人が言っている事が正しいか否かとか、言っていることが一貫しているか否かでなく、人間として理解しうるか否かにかかっていると結論付けられます。
そして人間は人間である事に間違いないので、信頼という思いの中に人間が立ち現れてくるのでないかと、理想を述べて、長くなりましたのでこの辺りで終わらせて頂きます。


Posted by: ヒラメ2 | March 14, 2012 12:30 PM

【フルタいむワーカー2001 7/6】 贈り物は素直に受け取る

今回で9回続いたシリーズのまとめの回になります。
どの様にまとめておられるのであろうか?

・『世の中に満ちている情報や、自分のまわりの出来事をすべてGIFTだと思うとしたら、きっと、もっと、日々の暮らしは楽しくなるに違いない』
私の場合、ギフトと言いますとお中元とお歳暮のことしか頭に浮かびませんが、Ms.Fは森羅万象・出会いの全てがGIFTであると言っておられます。

どうしたら、そんな気分になれるのか、そのポイントは:
・『有り難くって、感謝の気持ちに溢れてくると、人は自然にわくわくする』
・『うわさ話だけでなく、森羅万象、何でも好奇心を持ち始めると瞳がキラキラ輝いてやっぱり〈わくわく〉オーラが発生する』
諸事・諸物に接するに、「有り難いという感謝の気持ち」を持って「何でも好奇心を持つ」と「わくわく」した気持ちになる。

すると:
『人生、〈わくわく〉だけで、解決しないことも多々あるけれど自分自身を見つめ直す、こころのバロメーターになるはず。』
私はここで辞書をひきました。「バロメーター」の意味がピンと来なかったからです。「気圧計」と書かれていました。
ここを私なりに解釈させて頂きますと「わくわくした気分で自分を見直すと、心の気圧計の数値が変化する。カリカリした「低気圧」がサラリとした「高気圧」に変わり、爽やかな風が吹き始める。
当然、いろんな事も自然にいい方向に目に写り、受容性や積極性がましてくると思います。

さて、引用文に続いてMs.Fは「フルタいむワーカー」全体を通しての宣言と言って良い文章を書かれていますので、全部引用します:
『世界や社会や誰かを無理矢理変えようと思うのではなく(だいたいそんな事は出来ないけど)まず、自分がなりたい自分になり、気持ちの良い、固有で素適な生き方を実践し、示していく。
そんな姿を見て、いいなと思う人が現れて、まず、自分を見つめ、そして少しでも正直な自分に向けて変わりはじめる。
その積み重ねが、この社会に大きな善の集団意識をつくるのだと思っている。』
一語一句相当吟味し選び抜いて書かれた文章だと思います。じっくりと味わいたいものです。

    ☆☆☆『社会に大きな善の集団意識をつくる』☆☆☆
全体の結びとして、こんな大きな夢を語られるMs.F「フルタいむワーカー」は間違いのない歩みで書かれてきた筈です。深く敬意を表するとともに、私の記憶に留めておきたいと思います。
ここまで有り難う御座いました。私に取りまして大変充実した時間を持つ事が出来ました。次のエッセイに移らさせて頂きます。しばし庇をお借りすること、ご寬受お願いします。

Posted by: ヒラメ | March 15, 2012 06:09 AM

【夏の旅はトランスフォーム 2001 9/6】(前文全文)

『やっとこの夏の旅日記を着手する気持ちになりました。
想えば7/23日に日本を旅立ち、帰国したのが8/13日、そして現在9/6日、
このタイムラグの中、私はどうして今まで書けなかったのかって少しだけ考えてみました。
旅は人生、旅は大好き。
そんな私は、いつもそんな風に過ごす旅の時間について何とも不思議な感覚を持ちます。
過ぎ去った時間はこれから来る時間と同じ位曖昧です。
いつも〈今〉しかないのに、その〈今〉ですら上手く認識できことがあります。
つまり何が言いたいのかというと、私にとって時は、過去、現在、未来、すべてがそこに〈あり〉、同時にすべてがそこに〈ない〉のです。
そんなこんなで、アメリカとカナダで過ごした日々への感受性を咀嚼するのに結構いろいろな意味でのスペースが必要でした。それ位いろいろな事があった旅だったのです。』

旅の本体は時にあると言えます。時をどの様に表現したらよいのか。
取り敢えず、部屋で過ごした時ならと考えてみる。
家具や調度の品々を並べ立ててもそれでは時は表現できない。
過ごした時間の行動や心の様相、仮にその間眠っていて何もしなくても、を書かなければ過ごした時の幅は描かれない事になる。
しかしそれらはすべて過ぎ去った時である。
書き手はすべてを一旦一つのものとして頭の中に思い描き、それから構成し直し、読み手に分かりやすい様に表すための作業をしているはずである。
その結果として、読み手が感じる感覚は、時の流れと言うよりは空間処理の妙に近いものになる。
実際、良くできた解説本や学術書の文章からは時の流れを感じないのである。
ではどうしたら時の流れを流れとして描く事が可能か?
旅の場合、最初から順に一日一日最大漏らさず書き込む表し方がある。旅は絶えず目先のものが動くので、それらを順次記録すれば、読み手は時間が経過している事は分かる。
しかしそれでは書き手の頭の中は、文を書き始めた一点の時間に収斂されるので、意識としては時の流れを止める方向に動く。
これではむしろ逆である。
分かりやすく説明すると、旅は何が起こるか、どんな出会いが待っているか、それが分からない事こそ旅の醍醐味で、現実に体験した時の感動や落胆の思いも、この分からないと言う大前提があってこそ、生き生きとしたものになる。
しかるに書き手は全部分かっているのだ。
失望の旅であれ、その時までは、心は浮き浮きとして期待に満ち溢れたいた筈である。
落胆した事が予め分かっているのに、どうしてわくわくした思いをその儘文に表す事が出来ようか。
この何が起こるか分からないと言う時の本質を、文の中に表しうるためには、旅を過去の記録として表すのではなく、書き手は書き始めた一点からもう一度新たな旅をし直さなければならない。
現実の旅は既に終わっている。新たな旅は書き手の意識の中で始まる。
書いている時が空腹ならば旅先でのグルメの想い出も筆が進むであろうし、満腹ならばチャイナタウンでのご馳走など思い出したくもない。
至福の時を持ち感謝の気持ちで世の中を見直したはずが、夫の理不尽な一言に、我が身の不幸に浸る自分、一体あの経験はどういう事だったのか???全部旅先での迷妄だったのかしら!
かくして、過去の旅を記述しながらも、書き手は一字一句と共に時の旅人として、昔なら原稿用紙、今ならパソコンに立ち向かわなければならない。
そんな事をしたら、まとまりのないメチャクチャな内容になるだけで、そもそも終わりが来るのだろうか?

と、長々書きました。こんな思いに誘われた前文でした。

Posted by: ヒラメ | March 17, 2012 06:56 AM

【夏の旅はトランスフォーム 旅日記】2001 6/9~ 11/9

2001年9月11日ニューヨークで起きた同時多発テロによって中断した旅日記は、図らずもカフカの小説の様に未完に終わりました。
実際、カフカの代表作「城」にひどく類似した要素があります。
「城」の主人公のKは寝てばかりです。描写は起きている時の行動が主ですから気が付かなかったのですが、評論で指摘されてから再読しますと、「城」と言うのは眠りの中にある小説です。その為か、夢遊病の様な不思議な雰囲気が全篇に漂います。
Ms.Fの「旅日記」を読みますと『身体の調子が悪い。久しぶりに風邪をひいてしまった様だ』で始まり、『3日間、クレアホテルで寝続けていた甲斐もあって、少しは回復したものの、まだまだ傍目にも「体調悪そう・・・」と思える様な私の風貌。(中略)今日の夕方、このホテルで合流する事になっている、日本から来るツアーの参加メンバー、そして真弓香さんとドクター神谷の登場をひたすらぼけ~~~と待ち続けていたのでした。続きはまた明日。』で終わります。「城」そのままに、ここまで眠り続けて見えたわけです。
終わり方は、さあイヨイヨ物語の始まりとも言えますが、決して「わくわく待つ」のでなく、『ぼけ~~~と』ですから、『真弓香さんとドクター神谷の登場」は始まりの始まりに過ぎず、もっと大きな出来事が予定されていたのかも知れません。
どう展開していくか分からないのもカフカの長編小説にすべて共通した特徴です。
私も、続きはどうなると興味津々ですが『また明日が』来る前に、テロが来てしまいました。
眠りから一挙に覚めてしまわれたとも言えましょうし、やってきた悪夢の禍々しさに、描写が筆の能力を超えてしまったとも言えます。
リアルタイムで考えますと、読み手もテレビや新聞に釘付けになっていて、続きはしばらく中断して、それよりMs.Fはこの事件をどう感じているか教えて欲しいと云うのが当時の心境でなかったかと思います。
しかしながら随分経った今となっては、ある程度この旅がどうなったのか知りたい気持ちにはなります。そのヒントが赤字で紹介されている真弓香さんとドクター神谷で、検索できる様にされていますので少し覗いてみようかなと思っております。
さて、このテロについて、画面を見ながら私が何を思ったか、その一つですが〈どうせやるのなら、どうしてエンパイアステートビルをやらないのか!〉と言う不謹慎なものでありました。
では、また明日。

Posted by: ヒラメ | March 20, 2012 03:09 AM

【7月26日 こころ、からだ、思いは巡る】を読まさせて頂きまして、私が一番感じましたことは、田口ランディさんと考えがよく似ている様に思いました。
ある時期、彼女の本を借りてですが片っ端から読んだ事があります。
小説で言えば「アンテナ」とか「コンセント」、それから風水とかアイヌの霊能の方にも彼女は信奉してみえて、何となく共通性を感じました。
私の場合、子育て日記に現れる新しい感覚の男女意識や性感覚に一番惹かれるものがあり、小説は殆ど読まなくなっていましたが、ついでにそちらの方も手を伸ばしました。
大変誠実な方だと思いましたが、オカルト的な部分は本当かな言う感想は最後まで残りました。
今の自分はそう言う事は結果の解釈次第であると捉えております。
何事も結果オーライで、幸せや平安に繋がっていく方向であれば、心が求める真実であると言えますので、敢えて疑う必要はないと思う様にしています。

では9.11も含めまして、この項は終わりまして、次ぎに参らせて頂きます。

Posted by: ヒラメ(補則) | March 20, 2012 05:27 AM

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