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August 09, 2015

誕生日に思うこと

11時2分の黙祷。

生まれること、命を奪われること。
 
どうして、人が他者の命を奪う権利があるのか。
どうして、人が他者の人生を終わらせる権利があるのか。
 
守るもの、守られるもの。
奪うのも、奪われるもの。
 
戦いの好きな人種。人をうらやみ、奪う事をよしとする人種。 
調和を求め、与え合い、励まし合い、信じ合える人種。
 
私が生まれる前から、私の生まれた日にもう70回、
多くの人々の間で繰り返されてきたであろう
人類への問いかけ。
なぜ、未だになくならない? 
 
願いや祈りとともに、再確認する想い。 
こうやってずっと生きてきた、何十回目の誕生日。
 
 

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Comments

こんばんは、すっかり秋めいてきました。

思いますに、殺人事件をニュースで知るに、そんな理不尽なと犯人に対して強い憤りを感じますが、犯人の立場に立てば全てに必然性や当人とすれば納得すべき理由があるはずです。

女房を寝取られた亭主は、昔のカソリックの強い国では相手の男を見つけて決闘にせよなんにせよ殺さなければ、一生笑いものとして生きねばなりません。

今の日本で決闘など申し込んだら、それこそ笑いものになって、監獄か場合によれば病院に隔離されてしまうでしょう。

要は、『他者の命を奪う権利』と言いましても、社会の状況や置かれた立場の違いによって変化しますので、一般的な命題として問題追及しても、現実的な効果は薄いのでないかと思います。

それよりも殺人を起こしにくい社会の形成に心がけるべきでないでしょうか。
例えば拳銃など自由に目の前に置いておけるならば、撃ちたくなくても一遍や二遍位使わなければならないような気になってきます。
拳銃が自由にならないだけでも日本はアメリカよりも殺人が少なくなっているはずです。

又、飲酒運転のように罰則強化と罰則の明示も必要で、警察国家に近いのですが、お互いの了解の下で手足を縛ることも考えるべきでしょう。

私は殺人を考えたことは一度もありませんが、この人がいなければ良いのにと思ったことは何度もありました。

その人、親とか生徒まで入ってくるのですが、の死までを願わなかったのは、自分は死にたくないと言う気持ちが、相手も同様なはずという思いになって、思いに規制をかけることと、そこまで思うほどには酷い目に遭わされていないという事実があったからです。

始めに書くべき事でしたが、お読みして一番に思ったことは、人殺しと言いますと自分を除いた他人が行うことと考えがちですが、自分が人殺しにならない様にしなければならないということでした。

その可能性を感じた場合には、私を拘束して欲しいと思いますし、優しくやんわりと拘束意図を説明して欲しいと願います。

その節には、最も深い感謝を捧げようと私は思います。

Posted by: ヒラメ | September 22, 2015 at 01:00 AM

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