映画・テレビ

June 26, 2011

時のめぐり〜JINに、やっぱりやられました!

昨年来、ずっと好きだったドラマ「JIN〜仁〜」が、終わってしまいました。
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仁先生が、咲のために未来に戻るだろうとは
思ってはいましたが
その後、このような展開になっていたとは。
最後の咲の手紙には、本当に涙、涙でした。

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あんなにふたり、想い合えたのに、
時空を超えて、あまりにも切ない。

でも、こんなふうに、めぐり逢うことって
あるかもしれない。
過去に残した記憶の中で
やっとめぐり逢えること。

できれば、仁先生と咲さん、
もう一度、出会い、抱擁しあってほしかった。
未来でも、過去でも、
何処でも良いから、

ただ、ふたりの「今」で。

いずれにしても、こんなに感動したのは久しぶりです。
すべてのスタッフ、大沢さんをはじめとした
すべてのキャストのみなさん、
本当に心のこもった、本物の、ドラマをありがとうございました。

心から、感謝します。
生きていて、このドラマにめぐり逢えたこと、その幸せをかみしめています。
ありがとう。心から。

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May 21, 2008

未来を創る〜トップセールス

 一ヶ月以上のご無沙汰、、、申し訳ありません!

 またまたものすごく忙しくなっていましたwobbly

 こういう時期って、なぜか、自分が病気になったりする変な夢を見て落ち込んだりするんです。

 で、目覚めて、あ〜よかった、夢だった、って思って、それから「いかん!気をつけなくちゃ。なんたって身体が資本なんだから」と思う訳。

 身体の調子が悪いと精神もダウナーになって、いや〜なオーラの人を引きつけてしまうし、本当に気をつけよう。

 

 そんな時、私を元気づけてくれるのが、実は、この春からはじまったNHKの土曜ドラマ「トップセールス」です。なんだか、ちりとて以来、どうもNHKの回し者みたいだけど、、、ううむ。そしてこんなにドラマのことばかり書くとすご〜くテレビ、見ているみたいだけど、そうではなくって。


 この春からはじまったテレビドラマで見ているのは、実は、一週間の中で、2本 だけ。それがこの「トップセールス」と、火曜日夜10時〜の「無理な恋愛」

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 そう、その二本ともが、主演は夏川結衣なのです。たまたま面白いドラマが夏川結衣主演で重なった、、ということで。


 でも、夏川結衣は、とても好きな女優さんの一人です。

 そんな中でも、「トップセールス」は、見終わってこころの奥深くに残ります。
 そして明日も仕事、頑張ろう、人生、前向きになろう!と心底思えるドラマだ。

 ドラマの内容は、、、まずはNHK公式サイトから引用。

 「クルマを売ることは、乗る人の未来を一緒につくること…!」

 まだ企業が男性中心社会だったころ…昭和49年。大企業の女性社員から自動車販売会社に転職し、様々な困難を乗り越えて トップセールスへとかけのぼり、外車のセールスに転じてのちに社長にまでなる女性の一代記。団塊の世代である高校の同級生5人の男女との恋模様ととも に、彼らの人生を追うことで戦後日本経済の中心となった自動車業界の流れも描いていきます

 

 男性社会の中で、精一杯、頑張る主人公。お金のためだけでなく、人として生きるための「仕事」。私は、いつも、このドラマを見ると、泣けてきます。同時に勇気をもらいます。
 
 想いが現実をつくり、未来をつくる。
 素直にそんな人生を歩みたいなと思います。

   ドラマの中で、こんな言葉がありました。

  売れない営業マンは物を売る。売れる営業マンはお客様の未来を売る。

 
すべてに言えることだと思います。 

 私はこれからもずっと、関わる人と、自分と社会の未来を創るプロでいたいです。

 番組主題歌の平原綾香さんの「孤独の向こう」

 エンディングでこれが流れてくると、もう胸がきゅんとしてしまいます。

 すごく良い曲です。

「孤独の向こう」、それは悲しいことじゃない。

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March 29, 2008

ちりとてちん、ありがとう〜。

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 大好きな、大好きな「ちりとてちん」、とうとう終わってしまいました。


 今日は、朝8:15分からの放送を見て、笑い、泣き、そして、9:30分からのBS総集編でまたまた笑い、泣き、11:00からの「ちりとてちん落語ワールドSP」で、またまた泣いて笑ってしまいました。。

 とにかく「あ〜〜〜終わった!」という感慨に耽っています。


 そして、多分、同様な気持ちでいるであろう全国の「ちりとて」ファンのみなさんのことを思いつつ、悲しいけれど、途方も無く幸福な気持ちに包まれています。

 悲しみと喜び。涙と笑顔。ほんとうに半年間、ありがとうございました。こんなに感動して、こんなに楽しみにしていたドラマは未だかつてありませんでした。

 ちりとてキャストのみなさんスタッフのみなさん本当にご苦労様でした。そしてありがとう。


 そしてそして、同様な気持ちをシェアできたであろう全国のちりとてファンのみなさんありがとう〜。


 このドラマの素晴らしさは、書き始めたらきりがない。
 でも、私は、このドラマが存在し得たのの理由のひとつには、キャスト、スタッフ含めたすべての制作者、ひとりひとりの、個人的な人としての想い、本音、本気、正直さが、きっちり表現し続けられたからこそだと思います。

 例えばNHKスタジオパークに、四草役の加藤虎之介さん登場した日の、脚本家の藤本さんの言葉に、抑えきれずにぽろぽろと涙した加藤さんの横顔、そしてそこに草原役の桂吉弥さん草々役の青木崇高さん小草若役の茂山宗彦さんらが登場したときのみなの笑顔と涙。
 それは、作り物なんかではなく、ほんとの気持ちが現れていた。

 例えば最終回の前日、3/28の朝8:15分からの放映が終わってNHKニュースに切り替わった時、かつて誰も言ったことのないであろうセリフ「明日の最終回もお楽しみに」と、森本アナウンサーが初めて言ったこと。
 思わず「おお〜〜!ナイスじゃん!」と叫んでしまった(多分、みんなもそうだったと思うけど、森本アナ、叱られてないかと心配にもなったけど)→まだ、見ていない方はこちらへ
 

 マスメディアでありながらも、ひとりの人から人へ、伝える「本物の言葉」があると思った。
 
 NHKにも、いろんな問題を抱えていたけど、もしかしたらすこし変わったのかも?と期待すらできる
「こころ」がある、「わたし」が居る、「あなた」を知る、そんな番組づくりが、やっと出来るようになったのか。

 そういう番組を作ろうとしている人々ひとりひとりの人生が、そこに出始めたような気がして嬉しかった。


 私も、そういう仕事をこれからもしていきたい。
 

 人の悪口を言うのではなく、人のせいにするのではなく、人を幸せにする仕事。


 仕事とはそういうものであるという信念を貫いて、喜びと悲しみをみなでシェアできる「寛容と慈悲のこころ」を忘れない、あたたかな人生を笑顔で歩みたい。
 

 そんなシンプルな人生への願いを、私にもう一度、確信させてくれた「ちりとてちん」。
 
 ほんとうにありがとう。


 このドラマをシェアできなかった方々へ。

 あなた方の人生は、今そういう場所にあるのだろうけど、もし、いつか、機会があったら、総集編や、DVDをご覧になったらいかがでしょうか。
 

 私は強制も、押し売りも、押しつけもしませんが、私は、このドラマをシェアできる感覚の人々と、生きて行きたいと思っています〜。


 それが、私の ちりとてちん。

追伸:総集編が<NHK総合>で、
   5月5日(月祝) 午前8時35分~10時13分(98分) 
     ○前編「笑う門(かど)には福井来(きた)る」
   5月6日(火祝) 午前8時35分~10時13分(98分)5月5日
     ○後編「笑う一門には福来(きた)る」
   として放送されますよ〜。

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March 02, 2008

エリザベス〜寛容と慈悲の心

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  昨日の夜、息子と二人で久しぶりに映画「エリザベス〜ゴールデン・エイジ/ELIZABETH:THE GOLDEN AGE」(監督:シェカール・カプール/出演:ケイト・ブランシェット、ジェフリー・ラッシュ、クライヴ・オーエン他/2007年/イギリス映画)を観てきた。
(ここで言う、久しぶり、というのは、息子と一緒に、、というのが久しぶりなわけで、私は映画はしばしば観に行ってます。あしからず)

 実は、私はこの映画を観るのは二度目(ほんの数日前に一度、観た。その時、珍しくパンフレットを購入し、家に帰って読んでいたら猛烈にもう一度観たくなった)。
 つまり、それだけ面白かったし、とにかくきちんと見直したかった。

 衣装の素晴らしさ(第80回アカデミー賞、衣装デザイン賞を受賞!)、セット、ダイアローグ(英語のセリフ)の美しさなど、一度目には気づかなかった発見もあって、この作品の情報量の多さに圧倒される。

 例えば衣装で言うと、スコットランド女王のメアリー・スチュアートは、以前、フランスに嫁いでいたことがあるため、衣装にはフランス好みに装っている、、とパンフレットに記されており、その視点で見直すと、明らかにエリザベスとは違うデザインテイストであることがドレスの繊細な刺繍模様から理解できる。
 これはほんの一例で、とにかく全編、映像、音楽、美術、演出…あらゆるところに渡って、とことん「こだわって」製作されているから、私の目は、もう喜びっぱなしの1時間54分。

 今回は、前回、観た時よりもさまざまなシーンの中に織り込まれたメッセージがぐいぐい浮かび上がってきたし、人物の相関関係もよりクリアに観る事ができて、やっぱり映画って、文化であり、総合芸術であり、ほんと〜〜に面白い。

 一番の発見は、「恐怖が恐怖を生む」というエリザベスの言葉。
 そうか、ここには、あの、9.11へのメッセージがあったのだと、二度目でストンと心に落ちて来た。
 監督がこの映画を何故、今の時代に作りたかったのか。
 宗教戦争をしかけたスペインは、現代のアメリカでもあり、宗教の名を借りて、結局は自国の富のために他国で戦争を起こす人間の傲慢さの象徴。
 エリザベスは、「寛容」を伝えている。これは、実は、ローマ帝国をまとめたローマ人のテーマでもある。
 紀元前も16世紀も、そして21世紀も。
 宗教や正義はすり替えられた免罪符。その名の下に、「寛容」から離れて、他者を攻撃することに自己の道を見いだそうとする人間の「傲慢」。

 エリザベスもまた、人間の「恐怖」や「傲慢」に翻弄される。でも彼女は違った。
 エリザベスは、葛藤の末、勝利した。
 それはエリザベスが、「ジェンダーを越え」「恐れを手放し」「許し」に向かう「内省」と「寛容」の心を得、それを体現したから。その彼女の姿を「神」は受け止め、翼を与え、風を起こし、光射す奇跡の中、スペインの無敵艦隊は海に沈む。
 その奇跡はミラクルではなく、人間が、決して抵抗することのできない真実=宇宙の法則として描かれるのだ。

 神は、宇宙は、生は、寛容なもののそばに常に在る。
 そして愛もまた、男と女という固有な性の中で育まれる愛を超えた所、すなわち「慈悲」の中に存在するのだ。
 「慈悲」には、「所有」も、「エゴ」もない。

 この映画は、衣装、音楽、美術、映像など、例えばエンターテイメントとして一回観るだけでも十分、楽しめる要素を含みながらも、そのメッセージの深さ、情報文化は、まるでミームのように張り巡らされて、何度見てもリリカルでスピリチュアルでかつリアルでフラジャイルな魅力に溢れている。

 これはひとえに監督の力と、そしてこの映画を創り上げたキャスト、スタッフ、すべての秀逸な力の結集だ。

 ぜひ、ご覧下さい。
 残念なことに結構、空いています。だから、早めにご覧になると良いと思います〜。(でないと終わっちゃうよ〜)

 本格的世界史好き我が息子も一応満足していましたよ。

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February 17, 2008

やっぱり「ちりとてちん」が(相変わらず)、好き!

 今日も泣いた、笑った、そして泣いた〜。

 「ちりとてちん」以前にも書きましたが、私にとっては、NHK朝の連ドラ始まって以来の、最高のドラマが「ちりとてちん」です。

 巷では視聴率が上がらない、、なんて声がありますが、何か間違った層にビデオリサーチをしているのではと本気で疑いたくなります。
 だって、私のまわりでは、ちりとてファンだらけです。それも、マーケティング的に言えば、トレンドにずっぽりはまる女性たちの支持がう〜〜〜ンと高い!
(ちりとては、その内容に関して、みんなで知的に分析、盛り上がることができるってことも大きな特徴!)

 さらに特徴的なのが、みな一様に、「とにかく朝、7時半か、8時15分からの放送を観て、それから必ず土曜日のBS総集編を見る」というところ。

 1つの話を2回~3回は繰り返して必ず見るという、これほどまでに「何度見ても面白い=ドラマが深い」連ドラがあっただろうか。

 一週間をひとつのテーマで紡ぎつつ、大きな流れを作るというドラマの構造にしているからこそ、総集編で見直すという行為も生きていて、もちろんすべてに落語のテーマとリンクされているし、本当に計算された、しかし愛に溢れたドラマなのだ。

 今週も泣いた。泣いた!!そして笑った。
 総集編ではず〜〜と泣いてた。すばらしかった。
 参りました、そして涙の中にも「笑顔」という行為を持ちうる人間の文化に感謝。

 「笑い」の貴重さを教えてくれた、ちりとて。
 師匠の死は、悲しくて辛かったけど、でも、地獄と天国を行ったり来たり、現世とあの世も行ったり来たり、そんな落ちが「落語」らしくて良かった。

 ●さん、ぜひ、「ちりとて」見て、心の洗濯して下さい。そしたらあなたもきっとハッピーになれるし、そのことで、ハッピーになれるまわりの人が沢山いると思うんだけどな〜。


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October 27, 2007

ちりとてちん、が好き。

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 「純情きらり」以後、ほとんど観なくなっていたNHKの朝ドラ。
 でも、10月から始まった「ちりとてちん」は、実〜〜に面白い。

 何より、「風林火山」で衝撃を受けた、貫地谷しほりが、主演で出る、、ということ、NHK大阪放送局の制作であること、上方落語の話であること、、などなど、もう、通好みの番組になるであろうことは、充分期待していたのだが、、、
(視聴率は今ひとつ、だったらしいけど、平成15年、やはりNHK大阪放送局制作の「てるてる家族」は、滅茶苦茶面白かった。てるてるファンのブログの盛り上がりも凄かった。笑いあり、涙ありのヒューモアが、私はとても好きなのだ!!)
伝説の「てるてる」を上回る作品になるかも???という面白さ、スタートは予想以上の好調な滑り出し。

 というよりも、「かなり良い!」。
 
 好き。この一言に尽きる。


 毎日、仕事が忙しくて、心が重くなったり、いろんなことがある中で、私の気持ちを、するると救ってくれるのです。
 そしてクールな笑いとホットな笑い、クールな泣きと、ホットな泣きが共存している、人間のこころに触れる、本物の番組になりそうだ〜。
 
「純情きらり」も、途中までは、そんな(私にとっての)伝説の番組になりかけたのだが、、途中の(多分、何かの事情だろうが)シナリオの破綻で、貫けなかった、消化不良だった。。。そして、朝ドラへの情熱を失わされた、、、

 その思いを(勝手な私の思いだけれど)、久しぶりに、朝のNHKにチャンネルを合わそう、土曜日の総集編を観よう、、と思わせてくれる作品にめぐりあえた。

 貫地谷しほりの演技の上手さ(もし、芸能界が彼女の女優としての天性をつぶしたら許さないぞ〜。きっと日本を代表する凄い映画女優にもなる人だ!)はもちろん、草々役の青木崇高(こういう俳優がどう育って行くか。。日本映画も楽しみ!)も当たりだし、それぞれのキャスティングのうまさ、シナリオのテンポの良さ、米倉斉加年(もう言葉に表現できないほど、凄い!)、和久井映見(最高!★★★)、渡瀬恒彦(渋い、味わい深い鯣のよう!)、江波杏子(居るだけで画面がしまるオーラの持ち主。好き)、松尾貴史(こんなに芝居上手かったんだぁ)、キムラ緑子(はまり過ぎ。小劇場の頃から知ってるけど、、)をはじめとした芸達者による味のある演技、ドライなヒューモアと大阪言葉の癒しなどなど、、、。
 心がある。本物がある。笑顔がある。涙がある。

 ううむ、私にとっての元気栄養剤になりそうです〜。

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June 28, 2007

The Name apply

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 最近、偶然このブログを見つけてくれた昔の友人、知人からの連絡がしばしば入るようになってきた。
 みな、20年以上前に出会った人ばかり。懐かしいよ〜。
 ぜひ、久しぶりに会いたいな〜と思うのだけど、みな仕事が忙しい者同士なのでなかなかすぐに会う事はできない。
 こうして昔の友人、知人が、どこかで頑張っていると思えることは、凄く嬉しい。
 そんなふうに思えることが、まず、有り難い。それもこれも、こういったブログ、という「文字情報」が発光する凄いメッセージ力のお陰だ。

 でも、、そんな有り難い「文字」が発光するメッセージ力だけど、実は、とっても怖いものでもあると思う。

 例えば、どんなときでもある一定の仕事に関わったら、関わった人全員をきちんと社会に情報として伝えたい思うのに、さまざまな報道の中では、誰かが必ずその情報の中から降り落ちることがある。
 

 その一方で映画の世界は(少なくとも私が身を置いていた頃は)、どんな小さな仕事でも、きちんと仕事として行った人の名前は絶対、外さない。絶対きちんと最後に全員クレジットする。
 私自身も映画の仕事をしていたとき、たとえあっという間に流れて行ってしまっても、自分の名前がクレジットされるのを観た時の喜びは、最上級のものがあった。

 ともすると映画監督だけのものだと思われがちな映画という世界。
 でも、その大きな世界を作り上げるのに、誰一人として不要な人はいない、、というのが、チームワークを大切にし、役割分担が明確なプロ集団の集合体として成り立っている映画の現場の考え方だ。

 だからこそどんな仕事であれ名前が出るということは、自分の実績がそこに<ある>ということであり、それがキャリアとして積み上げられていくことになる。
 一方で、そこに至るまでの下積みというものが不可欠で、名前を出しても良いというまでになるための道のりは長い。

 一人前になるまでは、決して名乗らない(滅私的に奉公する事にも近い)という暗黙の了解でもあって、名前を出せるということは、まずは一人前であると認められたことであり(でも、そこから大きな文字で名前が出るようになるには、まだまだ長い道のりと努力が必要なのだ)、そのことによって仕事の責任の所在が明確にもなっていく。


 だから私は、なんらかのプロジェクトの中でちゃんと役割を果たした人は、きっちりどこでもクレジットされるべきだし、それを人に伝える事はとても大切だと考えてるし、それを実践してきたつもりだ。


 私は映画を観に行くと、どんな作品でも必ず、エンドロールの最後の最後まで、絶対に席を立たない。
 クレジットに記されたすべての人々の名前を認識できるわけではないけど、そのすべてに魂が宿り、人の存在があることを知っているから、とにかく最後まで「見続ける」。
 そんな中、昔の知人の名前があったりすると、訳もなく、胸がじ〜ンとしてしまう。
 私が出来なかったことを、彼や彼女は、ここで果たしているんだという誇らしい思い。不思議な感覚だけど、自分の事のように誇らしいのだ。


  ブログやネットの世界では、どんな「名前」や「物語」も簡単にアプライできてしまう。
 そこで文字になったものたちは、やっとの想いで文字になったものと、一見すると同様にも見えてしまう。
 メディアの報道も同様だ。
 昔は、そこに記されるためには、多分、沢山のハードルがあったはずだし、そこに載る情報の真偽はきちんと精査されたものであるはずなのに、最近は、マスメディアですら、安易な「文字=活字情報」を垂れ流していないか。

 結局、世の中は、すべてパロディなのかもしれないけれど(映画のクレジットだって、幾らでも嘘の名前を掲示することはできるわけだし)、その中でひとつ、ひとつの文字表現に、バカみたいにこだわる私は、実は、ネットやブログをどんなに使っているにしても、とっても「アナログ思考」な人間なのかもしれないなと、間もなく満る月を遠くに見つめながら思うのだ。

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May 07, 2007

ゴールデンウィークはゴールデンスランバー?

 連休も終わったね〜。
 みなさんは、どんなふうに過ごしましたか?

 私は、と言えば、前半は、東京から戻ってきた息子が、急性気管支炎の病気とともに帰ってきたため、ほとんど看病で終わってしまいました。気管支炎って、夜、寝るときに出るんだよね。で、横になると、何故か朝まで咳が出て眠れない。最初の3日間は本当に苦しそうで、私も横で背中をさすったり、足つぼをしたり、、、アロマを焚いたり、、、いろいろトライしていて、眠れず、、毎日、朝刊を配る新聞屋さんの音がする頃になると何故か、咳も治まって、そのまま彼は昼まで熟睡。私は、長年の習慣で、七時半ぐらいには目が覚めてしまうので、なんとなく昼間はぼんやり,,,寝不足状態。
 まあ、でも、休みだったので、ぼんやりしていても良い訳で、ある意味、ラッキーでした。

 その後、5/1に竹内クリニックに行って竹内先生に診ていただき、新しい薬をいただいたのが効いたのが、次第に治まってきて、後半は眠れるようになってほっと一安心。
 5/1.2は軽く仕事をしたり、鍼にも行き(息子も初めて連れて行ったよ!)、5/3は耳鳴りがちょっとまた激しくて結構ぼんやり過ごしたかな〜。何してたっけ?
 思い出した!名古屋のナディアパークで開催される「伊藤真乗の目と手」展の内覧会に行ったんだった!
 知人のYさんのご招待で、息子(彼は日本美術も好きなのだ)と一緒に行ったんだけど、皆さん正装で、ものすごく偉そうな方々ばかりが集まっている内覧会で驚きました(はっきり言って私と大学生の息子は服装から言って、完全にまわりから浮いていたが、気にせず、さまざまな作品を鑑賞した)。
 ひとつ、とっても好きになった仏像がありました。。。
 
 5/4は、「こよみのよぶね」の制作リーダーだった佐部利君の披露宴と、弟夫婦と可愛い姪二人が遊びに来たのでなんとも楽しかったけど忙しかった。 披露宴の司会までしたので、ちょっぴり疲れたけど、でも、良い披露宴だったよ。サブリクン、オシアワセにね!
 二次会からは息子も参加して、みなでワイワイ遅くまで飲み会。
 私は1月に耳を悪くしてから、お酒をほとんど飲んでいなかったのですが、この日だけは解禁しました。だっておめでたい席だからね!
 だけど、やっぱり数ヶ月のブランクは大きい。。。。大好きなワインなのに、あんまり飲めなくなっていた。というか夜、家に帰ってお腹が痛くなって、結局、ダウンしてしまった。情けない。。。。
 あの豊かなワイン文化の奥深さをもう、味わえないのかも?と思うと、悲しい。でも、すこしずつ、回復できるといいなぁ。やっぱりワインって、味わい深い。本物を知り始めると、さらに深い世界の旅に魅了される。
 「美味しい」と切実に思う味わい。そして時とともに変化する味わい。
 そんなワインの旅を失うのはいかにも勿体ないというものだ。

 5/5は、名古屋のミッドランドスクエア映画館にまあ、一度は、どんなところか行っておこうという感じで「スパイダーマン3」を観に行った。
 しかし、、、、幾ら総革張りの豪華な椅子でも、隣同士の感覚が窮屈すぎる。
 前後も余裕がない。何より、出入り口が狭くて、シネマコンプレックスになっているのに、トイレも一カ所しか無く、女性用は長蛇の列。上映10分前しか場内に入れず、あの長蛇の列の中、10分間でどうやってトイレを済ませよ、というのだろうか。
 私は、うんざりしてすぐ横で館内整理をしているスタッフの女性に尋ねると、「出入り口を一度出て、ロビーにあるトイレへどうぞ」、とのことだった。「チケットの半券を席に忘れたけどいいのか」と尋ねると、“ も切り”のスタッフに言って貰えば顔を覚えるから大丈夫です、とのこと。
 すかざす出入り口で、“ も切り”のスタッフの女性に言うと、とっても気持ちのよい対応で「大丈夫です!どうぞ行ってきてください」との笑顔。
 で、ロビーのトイレはガラガラで、私は余裕で間に合ったのだけど、だったら、なんであの長蛇の列の女性達に館内整理のスタッフはそれをもっと案内しないのか? そちらに殺到するとまずいからか?
 でも、映画を心地よく観ていただく、ここで良い時間を過ごしてほしい、、という気持ちさえあれば、その一言はあってしかるべきではないかな。
 こういう機転の利かないスタッフ、、、どうなんでしょうね。そういうところで、サービスが一流かどうか、ってわかると思う。
 その意味で、なんだかミッドランドスクエアのスタッフは、レストランも含め、今ひとつ、の気がした。なんだか、一流ぶってるけど、スマートじゃない。スマートって言うのは「さりげない心遣いができる」「過剰な心遣いがなく気が利いている」「本物のお洒落を知っている」っていうようなことだと私は思っているのだけどね。
 ううむ。トヨタのプリウスに乗りたくても、あのデザインだと、どうしても乗る気になれない。。そんな気分と同じ気がした。だって、ここ、トヨタが作ったビルだもんね〜>

 でもでも、あの出入り口の狭さや、館内の移動のしずらさ、そしてロビーの狭さや導線の作り方など、どう考えても一旦、例えばちょっとしたボヤ騒ぎや悪臭等のアクシデントが起きたら、非常に危険な作りだと思った。 人々がパニックになって出入り口に殺到して、で、そこで事故が起きることは目に見えている。
 これは真剣な警告。安心、安全、事故のないトヨタスピリットはどこへ行ったの?という感じです。
 ちょっとまずいよ。本当に。

 でもって「スパイダーマン3」は、、、、やっぱり私は面白くなかった。ううむ、これは個人の好みの問題だろうね。それより いくら軟弱だと言われても、ヒュー・グラントを観た方が良かった、と思いつつ帰路に着いたのであった。。

 5/6は、息子の戻りに備え、彼の携帯電話を新調。私は仕事用で持っているソフトバンクと、ドコモの2台をもっており、ソフトバンクの方は、1時〜21時まで通話フリーなので、息子の携帯をドコモからソフトバンクに変えようと思って行ったら、ソフトバンクの方は『ホワイトプラン』がいくら安くても、新規の携帯自体の購入が最低でも2万円〜7万円近くかかり、結局、どっちも対して変わらないということを初めて知った。。。そうだったのか!
 なんだか、がっくりし、面倒になってまたドコモにしてしまった。

 ううむ、、世の中、ちょっとどうなってるの?

 それから、、、、この連休中は、遠出をしなかった分、いろいろな本を読んだり、いろいろなことをじっくり考えた。
 特に、私が以前に書いた「男と女の深くて暗い河論」のコメントに対し、昔の友人や、いくらかの人々からいただいたメッセージは、とても心に染みた。
 そんな言葉を辿りながら、さらに一旦、深いところに降りて行って、河は隔てるものではなく、繋ぐものでもあることに気づいた。
 それは5/4の結婚式に出席していた、かつて「わたしのわたし」という川をつなぐアートプロジェクトを行っていた五十嵐君というアーティストと不思議にシンクロした話題でもあった。

  みんな、ありがとう。ほんとに。

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April 15, 2007

映画「ブラッド・ダイヤモンド」〜何を得たいか、何のために?

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 昨日、映画「BLOOD DIAMOND(ブラッド・ダイヤモンド)」を観て来た。 
 凄い映画だった。
 まず知ったのは“自分の無知”だ。

 私が30代を過ごしていた同じ時期に、アフリカ大西洋に面したシエラレオネ共和国でかくも酷い内戦があったという事実。ほどんど何も知らなかった自分。
 「アフリカの飢餓」や「貧困」という“単語”でしか認識していなかった自分。遠い国に生まれた自分には、出来る事は少ない、と思っていた自分。これもまた運命なのだと解釈していた自分…。

 今朝、高校時代に使用していた(約30年前!)の地図帳をひっぱり出し、シエラレオネの場所を探した。アフリカということだけで、どこにあるのかなんてまったく分かっていなかったのだ。
 地図帳の索引で文字を引く。そして見つけたシエラレオネという赤い文字。リベリアとギニアに挟まれた小さな国だ。そこには確かに、鉱産地を表す「ダイヤモンド」の文字が3つも書いてある。
 よく見ると、大西洋からギニア湾に添う海岸線には「胡椒海岸」「穀物海岸」「象牙海岸」「黄金海岸」の文字も。高校時代には、まったく無頓着だったこの文字群にも、アフリカという国の裏側の意味が伝わってくるような気がした。
 シエラレオネの首都は「フリータウン」。この名称も誰がつけたのだろう?ちょっとだけ調べたら、もともとはポルトガルの影響下にあり、大英帝国の時代の1880年以後に、イギリスから「解放奴隷」として約5万人が現在のフリータウンに移住し、イギリスの統治が強まったそうだ。誰や何にとっての「フリー」なのだと言うのだろうか。心の底がざわつくこの感触は、多分、そんなに間違っていないだろう。

 こうして私は、高校時代の地理の時間にはまったく知る由もなかった世界のある「姿」について、30年も経って初めて「地図帳」から真実の一辺を学んだ気がした。

 映画の背景となっている「シエラレオネの内戦」とは、、

 「1991年から2002年まで続いた激しい内戦。学校や診療所などの国のインフラ設備は破壊され、多くの人々は殺害されるか手足を切り落とされるなどの残虐行為の犠牲となった。誘拐され「子ども兵士」として徴用された子どもは、約1万5,000人にものぼったと言われている。」(プラン・ジャパンのHPより抜粋)

 そもそもその内戦の原因とは何なのか?

「直接原因は部族対立でも宗教紛争でもなく、政府の独裁や圧制に対する反政府勢力の抵抗でもありません。それは反政府武装集団(反乱軍)による2つの目的つまり、「権力と利権の独占」の実現に他なりません(後略)」 

  これは「手を貸す運動(Lend a Hand Movement)」の HPの「内戦の原因といきさつ」というページから抜粋させていただいた一文だが、「BLOOD DIAMND」では、特に2つめの目的である“利権の独占”に関わる部分を軸に描かれている。(ちなみに、「手を貸す運動」のHPを熟読すると、映画とはまた違った側面で、シエラレオネで地道な活動を長年に渡り行ってきた人々の存在を知る事ができる。11年間の紛争に関する記述も客観的かつ切実であり、この地で活動を行ってきた方々ならではの重い言葉が綴られている)
 関連して、「紛争ダイヤモンド」というHPでは、映画の内容にも重なるダイヤモンド利権と反政府軍RUFとの関わりなどについて分かりやすく書かれているので参考してみるのも良いかと思う。

 いずれにしてもこういった情報は、ひとつ、ふたつを読んで分かった気になってはいけない。そして常に自分の頭や心にフィードバックしてじっくり解釈し、世界には多種多様な価値観を持った人々が存在することを認識した上で、自分なりの言葉で語る必要があると思う。
 映画を見て簡単に「◯◯の国が悪い」とか「◯◯が悪い」などと判断する前に、自分の思考の中で湧き起こるさまざまな感情を止めないことが大切だと思う。人は、誰かより優れているなんてそうそうないし、常に自分の価値観が絶対多数だなんて、決してないのだから。
  私はこの映画を見た事で、今までほとんど知らなかった世界で起こった出来事の一面を知った。そこには沢山の顔がある。そのすべてを知る事なんてできないからこそ、何を基準に自分が善悪の判断をし、行動を選択していくのかが問われているのかもしれない。
  
 映画の話に戻ろう。主人公のダニー・アーチャーを演じきったレオナルド・ディカプリオ、最高でした!よく頑張った!
 「ディパーティド」も、独特の軽さを演じきっていたところが良かったけど、こちらはなんと言うか素直に良かった。泣けて来た。揺れる心の葛藤を、台詞に頼らず、心底演じていたと思う。
 アカデミー賞主演男優賞、受賞してほしかったなと本当に思う。だけど(ここからは勝手な想像)レオは、この映画を経て、ある意味、賞なんでどちらでも良い、と思えるようになったのでは?とすら思えて来る。

 だって、こんな過酷な現実に向き合い、その中の役を演じきり、生死を痛感し、実際のアフリカという大地で、現在進行形のさまざまな問題を実感すれば、、、、アカデミーの名誉は、もちろん頂けるものは頂いてほしいけど、でも、たとえ貰えなくても(結局、これだっていろいろな人々の権力や利権も絡んでいるんだから)あんな素晴らしい作品となったのだから、胸をはっていてほしい、そんなふうに感じる大人になってほしいと勝手に思う私なのでした。
 そのせいかアカデミー賞授賞式のレオの表情は、なんとなく爽やかだった。今まで私は特にレオフアンではなかったのですが、俄然応援したくなりました!
 その他、すべてのキャスト、キツい殺戮シーンや戦闘シーンに参加した多数のエキストラ、、みな、素晴らしかった。切実だった。
 そしてもちろん、エドワード・ズウィック監督に、拍手! 社会問題や、歴史の背後に隠された真実を、エンターテイメントに仕上げて、映画ならではのメランコリーと、現実に対して「映画だからこそ出来るメッセージ力」が遺憾なく発揮された、素晴らしい演出と構成。
 レオが最後に見た、アフリカの大地の俯瞰映像には、本当に泣けてきた。  
 言葉でなく、映像の力でこそ伝わった、赤い大地。

 最後に、、、この映画のHPの「作品情報」というコンテンツの「プロダクション・ノート」をじっくり読んでみてください。

  【ロケーションから始まった善意の輪】 という文章、<善意の輪>という言葉に最初、若干の抵抗感を持ちながら読んでいたけど、読み進むうち、私は自然に心が溶けていくのを感じた。だって、そこにある言葉は、嘘じゃないと思えたから。
 スタッフ、キャストみなが、今回のロケーションをきっかけに、さまざまな活動を始めたということが記されている。その文中、「需要の大きさに比べたら、僕たちのしていることなんて大河の一滴にすぎないかもしれない。けれど、できるだけ役に立ちたかったし――これからも続けていくつもりなんだ」 という言葉があった。

 みな、言います。私も思います。「自分の力なんて大したことない」って。
 でもやっぱり「何かしたい」という気持ちになったら、まず出来る事から行動すれば良いのだと思った。
 ダイヤの原産国を聞いたり、紛争ダイヤを購入しないようにする事や、いろんなNPOやNGOに寄付をする事、語り合う事、文章に書く事…、いろんなことが「出来る事」としてあるはずだと思う。
 そしてこの映画をまだ観ていない人に、勧めることも「出来る事」のひとつなのだろう。
 観ていて苦しくて、辛いシーンもあるけど、目を背けないで最後まで観てください。この映画は、ぜひ、映画館の大きなスクリーンで観てほしいのです。
 
 2007年、4月。「BLOOD DIAMOND」は、その直接的なメッセージの裏側で、私たちの暮らしの中にも常にある「選択的な行動の意味」とその「連鎖」について、ある確実なメッセージを発している。
 だからこそ私は、そして、あなたにも、そこから目を背けないで欲しいのだ。

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February 08, 2006

映画「ミュンヘン」の底に流れるもの

323817view003 先日、スピルバーグ監督の映画「ミュンヘン」http://www.munich.jp/を観てきました。
 ミュンヘンオリンピックのテロの犠牲者には、辛くて観ていられない映像だろうなと想いながら、でも、スピルバーグの「復讐は、結局、誰ひとりとして幸せにはしない」という言葉では一切出てこないメッセージが、静かに、暗く、しかし強く横たわっていた。
 あとあとまで、じわじわと伝わってくるものがあり、それを映像や象徴的なシーンの積み重ねの中で感じさせている手法のうまさには、唸りました。勿論、役者も上手い!このあたりのキャスティングは実に絶妙だ。
 テロリストや、テロの犠牲者が殺されるシーンなどは、眼をあけていられない非情さで、現代人や、国家の偉い人々には、これくらい具体的に示さないと、最早彼らは、ひとりひとりの命が国家イデオロギーのために、無意味に(!)暴力的に奪われるということのリアリティを見いだせない程、鈍感な人間になっているのか、という虚しい想いを感じた。同時に、それをスピルバーグが知り尽くし、実感し、映画の力を信じて、あれほどの悲しいシーンをあれほどのリアリティを持って(大金を費やして)構築したのかと思うと、なんとも複雑な心境になった。
 私はしばしば、映画の力、映画というメディアについて考え込む。
 例えばこの作品で言えば、もしかしたらあの非情なシーンは省いて、淡々と「その後」の「報復者」を描いただけだとしたら、どうだっただろう。
 そうしたら「報復者」たちの置かれた環境の理不尽さや、その後の行動を観る眼が変わっていっただろうか?と。
 私を含む現代人には、あの「ミュンヘンオリンピック」の悲劇について、既にイメージできない程、遠い記憶になっているとしたら、映像に描かれているリアリティ=衝撃 を持ってあれらのシーンを描かなければ、この映画は、私にとって単なる「報復者の悲劇を描いた」映画程度にしか感じないまま終わっていたのだろうか?
 やはり、あとあとまで考えさせられる後味の悪さにも似たこの映画へのやるせなさは、国家規模の(しかし、動くのは結局、ひとり、ひとりの小さな人間なのだ)行動原理の中にある、不気味な思想をより、衝撃を持った映像で描いているからこそ、生まれたものなのだろうか。ううむ。
 スピルバーグは、「ミュンヘンオリンピック」の惨劇を丁寧に描いたことで(言葉による説明はほとんどない。すごい映像の力がそこにはあった)、結局、テロリスト、被害者、その両方の存在が、いつでも逆転する「復讐の連鎖」について、当事者達をほとんど、どちらか一方の国のほうが<悲惨><被害者><加害者><悲劇の主人公>とすることなく、とても公平な存在として(それが「復讐の連鎖」そのものの実質的な意味なのだから)きっちり描いている。
 例えば、戦いのシーンや、暴力シーンなどを一切描かないでも、その「復讐の連鎖」の恐怖を描いた映画もあるのに…、とも思う中で、やはりハリウッド映画として描く以上、こう描くしかなかったのかもしれないし、それが結局、この映画の存在の意味なのかもしれない。

 ある意味で、テロの「その後」を描いているという意味では、9.11の「その後」を描いた映画を作りたいと思って、しこしこ小説を書き続けている私の心情とも重なりますが(勿論、スケールは全然違いますが…)、私は、結局「その後」から立ち直るためには、国家だけでもなく、勿論、報復でもなく、ひとりひとりの人間の関わりの中で、自分の暮らしの中での、アタッチメントとしての、深くて暗い井戸の底からかはい上がるための小さな“生きる希望の光”を見出すことだと思っている。
 そんな想いもまた、スピルバーグ監督が伝えるような大きな影響力をもつメッセージとも、実は、同じ流れのなかにあることが、ちゃんと伝えられるといいのだけど。
 ううむ、まだ自分の書いたものが、それらを表現しきれているかは分かりませんが。
 いずれにしても辛い映画ですが、やはり観ておくべき映画だと思う。最後のシーンは、さらに象徴的でした…。

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