心と体

May 19, 2013

見えない世界の科学が医療を変える

 昨日、統合医療を進めている横浜船員保険病院 外科部長 兼 副院長で
癌治療の専門家の
長堀優先生の講演を、親友とともに聞いてきました。

ズバリ、タイトルは「見えない世界の科学が医療を変える」!

すごくおもしろくて、ためになって、素晴らしくて、そして
元気になることができました。
いわば、、「生きる勇気がまた湧いて来た」・・・という感じ。

長堀先生は、とても若々しくて、

先生の講演の中でも何度も、「患者さんから日々、学ぶことだらけです」
と仰っていますが、その若々しさの秘密には、ガン細胞を見つめ続けて
得た心境そのものにあるように思います。

死は人生の敗北ではない。

アインシュタインも言っていますが、量子論と東洋的一元論は同じ。
いわばそれこそが、宇宙の<哲学>で、
心もエネルギー、体もエネルギー、そして宇宙や自然や、人間を司るエネルギーは永遠。

東洋の精神文明と西洋の科学の統合や、ポジティブな想いが
よい遺伝子のスイッチをオンにすること。

スピリチュアルな話も満載で、
東大も少しずつ変わってる、医学学会も変わってるとおっしゃってました!

私自身が子どもの頃から直感的に信じて来た事柄や、
いろいろ実践的に勉強して来た事や、出会った人や旅した場所や、体験や
読んだ書物の話などとの、ふたたびの邂逅、、、という感じで、

まさに見えない科学が医療だけでなく、世界を変える、という話でした。

新しい、平和な世の中に向けて、見えないものとのつながりも感じられる、信じられる、
そんなこころと魂の豊かさに満ちた、謙虚な世界。
自然、、、とのつながり。

日本は変わる!日本を変えよう。
自分の役割。
ナチュラルなスタイル。そしてラジカルな意志のスタイル。

追伸:会を主催してくださった関係者のみなさん、ご苦労様でした。
ありがとうございました。

Nagabori518_3 ←あんまり自己主張したくないので、敢えて小さい写真で。   

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March 25, 2012

岐阜県と、more treesと。

 

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 私が3年前に望み、一歩を踏み出したこと。
 それが奇蹟みたいに実現した日。

 誰もそのはじまりが誰かなんて、知らなくても良い。
 でも、それは、
 確かに、3年前のあの瞬間の、
 閃きにも似た私の一歩から、このプロジェクトははじまったんだ。

 私は、その夜、長良川を見ていた。

 金華山は闇に沈み
 月灯りだけが川面をキラキラと照らしていた。
 自転車を片手に右岸道路に佇みながら、
 その時、私は、一ヶ月程前にものすごく無防備に飛び込んだ、
 まったく新しい組織の中で、
 やるべきミッションについて悩み、漠然と考えていた。

 滔々と流れる長良川。

 その源流まで意識を飛ばす。夜の空をぐっと、深く。
 そこにある、森。源流の森。
 すべてがつながっている。

 その時、数ヶ月前に読んだ新聞の特集記事がふわっと浮かんできた。

 その記事は、北海道下川町の森が「more treesの森」第4号に認定され、
 坂本龍一さんが現地を訪れた様子とともに、
 何故、坂本さんが森の再生に取り組んでいるのか、などについて自然体の文体で書かれたインタビュー記事だった。

 坂本さんが(多分朝の)ニューヨークの街並を歩く写真とともに掲載されていて、「エコはファッション」でいい、と見出しにあった。

 その記事を読んだ時、私は、まるでデジャブにも似た、いや、デジャブにしたい気持ちで、
「岐阜にもmore treesの森を!」と想い、

 その場所にいつか、きっと「坂本さんが訪れる日」が来る事をイメージした。

 「もっと、木々を!」

 なんて素敵でシンプルな言葉だろう。

 そう、想い、森の深さ、豊かさ、それが目の前の滔々と流れる長良川につながっていることを、再び全身で感じながら
 自転車を走らせようとしていたその瞬間に、 
 「one more stay,one more trees」
 という言葉が降って来たのだ。

 最初は、岐阜をいつもより1泊多く旅したら、その分、岐阜に木を1本植よう、
 そんなプロジェクトを作ろうと思った。

 でも、よくよく考え、そして調べていくと、植林も大切だけど、
 今、必要なのは間伐すること。。
 その材を、財に変えて、循環させて、
 本物の、持続可能な森、川、海、そして人やあらゆる生き物との循環型社会を
 つくること。。そういうことも実感として分かって来た。

 じゃあ、今、岐阜県の森林行政はどうなっているんだろう。
 私の観光交流事業と結びつけていけるのだろうか・・。

 そんなこんなを考えながら、スタッフにプレゼンし、プロジェクト化にむけて
 試行錯誤の日々。

 それから、3年。
 本当に多くの時間と、スタッフの努力と、多くの人々のつながりと、

 みんなの汗と、思いと、努力が実って、
 岐阜県の加子母と東白川という二つの地域で「more treesの森」が誕生し、
 そして、自然を活用した「都市と森をつなぐ交流モデル」を構築するための
 「連携に関する包括協定」が、一昨日の2012年3月23日、坂本さんをお迎えして、
 岐阜県「more trees」とで締結することができたのだ。

 坂本龍一さんに、岐阜県を見てほしい、知ってほしい。
 more treesが、掲げる理念は、岐阜県でこそ、実践したい。

 そんな気持ちがスタートだったこの一歩。

 そして今、
 もはや私の最初の思いを超えた、多くの人々の理念や、行動の結実としての
 アクションがはじまって、動いている。

 すごい動き、静かだけど、すごいうねり。

 私の最初の思いを遥かに超えた、そんな<現実>が生じている事。
 あらためて、ひとり、静かに、深く、感動する。

 だって、もう知らないところで、本当にいろいろな人々が
 自分のプロジェクト、として、動いて、それが形になっているのだ。
 ほとんど、最初にイメージした通り、いや、もっとそれを超えて。

 すべてが自然に、流れて、つながって、ぶつかったりしながらも
 ベストなタイミングで、ひとつ、ひとつ、
 ひと節、ひと節づつ、まさに年輪みたいに刻まれて行く。

 東白川の森の看板の前では、坂本さんと、村の子供たちが即興的な、音を響かせた。
 そのときの子どもたちは、そのはじまりなんてまったく知らない。
 知らないからこそ、貴重なのだ。

 私は、そう思うだけで胸が篤くなった。

 世界はこうして動いて行く。
 命や、想いは知らないうちに紡がれて行く。

 子どもたちには、でも、あの寒空の中の演奏や、
 どうして今、自分たちがそこにいるのか、について、
 いつか、きっと、その森のめぐみについて
 あの場所で、世界的音楽家が突然のことにも関わらず、マネージャーがさっと差し出したホカロンで指を温めながらトイピアノに真摯に向き合う姿と、ともにした時間について。

Img_01061_2  

 奇蹟のようなこの二日間、その時を
 何故だか、ずっと降り続いた雨や、雹や、寒さの中、
 自宅に戻って、すっかり寝込んでしまった自分の精神と魂と体の声として、

 それは、私だけでなく、そこにいた誰もが、
 きっと、一生、忘れないだろう。

 そして私は、今、想う。
 大好きなメイ・サートンの言葉を。
 「Plant dreaming deep〜夢見つつ、深く植えよ」

 みんな、本当に、ありがとうございました。

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November 13, 2011

音に揺れる

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 10月30日、都ホテルの最上階の天空ステージ「ザ・スカイバンケット」で、
長良川と金華山を背景に、友人のAricoの黄昏ピアノリサイタル
「Arico 長良川を奏でる」
長良川おんぱくの最終イベントとして行われた。

 長良川おんぱくは、岐阜県とおんぱく実行委員会との共催事業で

私もことのほか思い入れの強いものだったし、

 実現できたことが、何より嬉しかった。

 そしてそのエンディングとしてのAricoのピアノは、一音、一音、力強く、
  かつ繊細で、まさにAricoのサウンドそのものだった。

 久しぶりに心が揺れて、揺さぶられ、彼女の世界が自然にすっと広がって、

 長良川や、岐阜の空気、

 会場の人々との透明でクリーンな関係性が詩的に響き合っているようで、
 本当に心地よかった。

 彼女の紡ぎ出す音の世界はとても雄弁だったけど、でも、押しつけがまくない。
 だけど、しっかり自分の音色が立ち上がっていて、美しくて、チャーミングだった。

 背中越しのAricoの演奏を見続けたのは、彼女と出会って10年以上経ったのに
 はじめてだった。
 でも、その背中も良かった。

 

 一期一会の出会いを慈しみ、感謝し、
 音の中で小さな光を紡ぐ彼女の姿は、

 まさにそのためだけにある、という感じで
 まれに見る素晴らしいステージだったと思う。

 私はその中で、沢山の勇気と元気をもらった。

 これが岐阜の、長良川や金華山のマジックかもしれなくても、
 明らかに彼女の変化は前向きで
 私はとても嬉しかった。

 そして幸せだった。

 そんな時間を創造してくれたAricoはもちろん、
 このイベントを支えてくれた、
 全ての人や全ての想いや、それにつながる過去や未来や、
 環境や空間や、すべてのすべてに感謝したいと思った。
 (もちろん、そこに至るすべての私自身の運命の流れも含めて)

 Thanks again,from my heart.

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September 18, 2011

瞬間享受性。。

 

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 昨日、台風が近づく大雨の中、昔からの友人のディナーライブに行った。

 友人の演奏は良かった。パワフルで。音の響きも。
 でも、何だろう。。。

 いつも、感じる<もの>がない。

 それは私が変わったからなのか? それとも。

 そのディナーライブは、食事も売りで、それなりの値段を出している。
 実は、そのディナーライブの第一回に私は参加した。
 そのときの食事の感動は、今も忘れられない。

 しかし、それも、私が変わったからなのか。
 それから何度となく、美味しいフレンチや、イタリアンや創作料理を口にすることで
 もっともっと世の中に沢山ある、<美味しさ>を知ってしまったからなのか?

 でも、、いつも、私が感じる、味のマジック。
 料理人の<気>のようなもの。

 その料理人に期待した、深い、味わい。

 それがとても単調で、食事をしたあと、帰り道、
 すごくおなかがすいてしまった。
 美味しいものをいただいたときの、あの幸福感、、が足りなかった。

 音楽も同じだった。
 いや、演奏は良かった。でも、何だろう。

 映像が流れていたから?トークが妙に上手になっていたから?
 私の耳や、心や、五感が鈍感になったから?

 私の求めるものが変わったから?

 プロフェッショナルって、何だろう。
 演奏家、って、料理人、って。

 すべてに一期一会の感動を求めるのは、酷なのか。

 でも、私は、アーティストは、いや、Creator には
 一期一会の真剣勝負を求めてしまう。

 あなたの人生のルーティンにお金を払っているんじゃなって
 思ってしまう。

 私は、<作品>を見に来たのに、と言いたくなってしまう。
(それが間違っていたのかもしれないけど)

 厳しいけど、それが、私の今の、Artや、Creativeへのく価値観>なのかもしれない。
 たぶん、以前より、ずっと、その瞬間享受感性の
 ハードルが上がってしまったのだろう。

 そっか。。。きっと、それが
 まったくプライベートのマイナー感覚の、
 My back pagesなのだ。

 Ah, but I was so much older then,I'm younger than that now.

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May 15, 2011

第1回高橋尚子杯 ぎふ清流マラソンが開催されました!

第1回高橋尚子杯ぎふ清流マラソンが開催された。

岐阜県に一万人ものランナーをお迎えすること。
そのことが秘めたさまざまな可能性を実感しました。

もう20年以上昔だけど、
たまたま仕事でハワイに行った日が偶然、ホノルルマラソンの日で、
そのとき、ホノルルの町全体が
各国から参集したランナーを歓迎している雰囲気って良いなぁと思った。

マラソン参加者には町のレストランでいろんな特典があったり、
何より、「ご苦労様!」って町の人々が
笑顔で声を掛け合っている姿が本当にハートフルで。。。

そのとき、そうか、こういう観光の作り方もあるんだって思ったことを、思い出した。

今回の清流マラソンでは、
長良川、清流、金華山という、ここにしかない場所で、
さまざまなここでしか味わえない体験を提供すること。

ランナーの人々が、「また来年、来たい」と思っていただけること。
違う季節の岐阜も見てみたい、と思ってもらえること。

私がめざしている事ごとを実現するためには
まだまだやるべき課題は山積みだけど、
まずは第一回が無事、開催できた事、
本当によかった〜と思っています。

(何度も言いますが、スタッフのみなさん、ほんと、ご苦労様でした。
昨日のフェアウェルも盛況で良かったです。

久しぶりにいろんな方々にお会いできて、嬉しかったです。

また、招待選手のキャサリン・ヌデレバ選手、顔がう〜〜んと
小さくてとってもキュートな素敵な人でした。
会場でお話、してしまいました。。。!
岐阜、とっても綺麗で良いところだ、、って言ってくれましたよ)

今日は、とてもよい天気で、
全国から集まったマラソンランナーの方々のファッションや
みなさんの頑張っている姿を見ているだけで
楽しかった。

参加してくださったみなさん、
スタッフとしてこの大会を支え、
関わったみなさん、本当にご苦労様でした。

そして何より、高橋尚子さんの凄さ!
彼女はやっぱり岐阜人です。

岐阜人は、岐阜を愛しています。
マラソンへの想いはもちろんですが、
さらに彼女の岐阜への深くて真剣な想いを感じました。

私も同じです。そして岐阜のためなら何だって一生懸命に
なってしまうのです。

彼女の姿もそうでした。

競技場で続々と戻ってくるランナーに向け、
一人一人とハイタッチしている彼女の姿。

暑い中、チャリティーオークションの会場で、声をはりあげている
彼女の姿。

岐阜への想い、長良川への想いを口にしているときの
彼女のまなざし。

本当に素晴らしかった。

WE HAVE THE SAME MEME(DNA) OF NAGARA-RIVER,GIFU!

I AM PROUD OF YOU!!!

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May 29, 2010

久しぶりのドクショタイケン

 このところ時間があるとひたすら本を読み続けている。

 というのは、昔からの知人である編集者のIさんから最近、まとめて何冊も本をプレゼントしていただいたから。

 でも、その少し前に、一冊の本で、これほどの読書体験が出来るんだ、という境地に至った幸福かつ衝撃的な出会いがあった。それが、明治時代の黄檗宗の僧で仏教学者にして探検家でもある河口慧海師「チベット旅行記」だ。

  読み始めて止まらなくなった。眠くても読み続けたかった。ひたすらに読みふけった。魂があるとしたら、心を飛び越えてズドン、とそこを揺さぶられた。

 そんな頃、Iさんが、久しぶりに、本当に久しぶりに私を尋ねてきてくれたのだ。
 まず最初に村上春樹の話をした。「1Q84、読みましたか?」からはじまって、「私は2巻で終わっててほしかった」と言ったら、Iさんも、「僕も多分、そう思う」といった。そして春樹さんの、単行本や全集にも一切収録されていない作品である「街と、その不確かな壁」の話で盛り上がった。この小説を知っているなんて、かなりのものだ、と、Iさんは、珍しく私をほめてくれた。こうして実は、Iさんも私もすごい「ハルキニスト」であることを知ったのだ。

 その後、Iさんは、春樹さんの「我らの時代のフォークロア」が好きだと言った。私は春樹さんの小説は全部、読んでいるつもりだったのに、そのタイトルから物語を思い出せなかった。読んでいない物語もあったんだなぁと自分に驚いた。Iさんは、春樹さんの小説は、ほぼ昔から、初出誌で読んでいるそうだ。 私は大部分、本になってから読んでいる。本でない春樹さんの文章を読んだのは、先ほど述べた「街と、その不確かな壁」と、春樹さんのハーバード大学での講義原稿をインターネットで(しかも春樹さんの肉声入りで!)読んだのと、エルサレムスピーチを新聞で読んだだけかもしれない。だけど、これらをちゃんと読んでいるってのは、「やっぱりかなりのハルキニストだよ」と、Iさんは、再び言った。
 私は、エルサレムスピーチは、日本語と英語、両方で読んだ。両方とも感動した。「壁と卵」「システムと個人」。春樹さんの問題は、常に自分にリンクする、そう直結してしまうのが春樹マジックだ。

 そんなこんなで、私とIさんは、その後も、延々、あの小説はどうだ、こうだ、、という話になって、「じゃあ、東京に戻ったら、「我らの時代のフォークロア」の入っている小説も含めて、本、いろいろ送りますよ」と、言ってくれた。そう言っても本当に送ってくれる人って少ないのに、本当に翌々日には本が届いた。それもドサッと。

 で、私はそれをほぼ、今、全部、完読(なんて言葉があるのだろうか)しつつある。あと、残すところ1冊だ。

 Iさんは、佐藤正午くんの「身の上話」は、すごく面白いですよ、と言った。そしてそれも送ってくれた。その他、私が、最近読んだ本で小池昌代さんの「タタド」が面白かったと言ったら、その作家の長編「転生回遊女」も入れてくれていた。
 「身上話」も「転生回遊女」も読み終えた。「我らの時代のフォークロア」は、読み始めて、過去に読んでいたことに気がついた。あ、そうだった、とあらためておもった。「すべてが終わったあとで、王様も家来もみんな腹を抱えておお笑いしました」、そう、この一文が呪文みたいにリフレインしたとき、ずっと昔の何かがムズムズと動き始めた。

 物語は不思議だ。
 作家が何日も、もしくは何年もかけて書いた文章を、私は数時間で読み終えてしまう。そして心に深く留め置くものもあれば、そのままどこかへと流れて行くものもある。

 でも、不思議なことに、どんな物語でも、紡がれた文字列の中に、生きた映像が見えてくる。音楽や匂いやざらざらとした感触のようなものを感じることすらある。それは私が映画が好きだからかもしれないけれど、書く事と、読む事と映画や映像を見る事なら、何時間でも費やせるその世界体験を子供の頃から、当たり前に消費し続けてきた私は、これがそんなに特別なことだなって一回だって思った事はなかったんだ。
 でも。
 Iさんが、私に言った。「毎日10分は小説の事を考えて、5分は物語を書きなさい」と。
 うん。そうしようと思った。どこにいても、それは出来る。今の私でもそれは出来る。車の中でも、箱の中でも、お風呂の中でも。そして、多分、アノ不確かな街の中でも。

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December 28, 2008

2008年、今年もありがとう

今年もあと4日。

私にとって、今年、2008年は、一生の中でも深く想い出に残る年になりました。
予想もしていなかった(でも予感を抱き続けていた)出来事の中で、私は本当に自分の人生を生きる勇気をもらいました。

多くの人々や、すべての環境に支えられ、生きています。
みんな、ありがとう。

自分に訪れた転機を、きっちり感謝の気持で受け入れて、そしてその光をこころから全身全霊で受け止めたいと思っています。

67億人の中から、見いだしたこと。
行き交う無数の情報の中から、集中して、選択したこと。

星星の瞬きの中で、生きる意味を問い直したこと。

今年、私が何度もひとり、心の中で歌った曲
「ハナミズキ」の、徳永英明&青窈ヴァージョンをみんなに捧げます。

私は、ハナミズキの中でも、このヴァージョンを心から愛しています。
you tubeでこのデュエットを見て、聴いた時、
心の底から感動しました。

それは、何年経っても変わりません。

良かったら、聴いてください。

私をいつも見守って、応援してくれているみんな。

ほんとうにいつもありがとう。

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと止まりますように
君と好きな人が百年続きますように

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July 06, 2008

変わらない自分!

 一昨日、高校時代の同級生の馬渕裕嘉志君に20年以上ぶりに再会し、約2時間、さまざまな話をした。

 こんなふうにじっくり話をしたのは、、多分、高校卒業以来だろう。
 高校卒業といっても、馬渕君と同じクラスだったのは高校2年の頃で、3年の前期、一緒に生徒会役員をやって岐阜北高校の改革をしようなんて話し合っていた記憶があるけれど、その後はほとんど話をしなかった。
 17歳からほとんど話をしていないとうことは、、、なんと30年ぶりの対話、、ということになる。

 ちなみに、おおよそ20年振りの再会、、というのは、20年以上前、私が名古屋の中日スポーツの記者の仕事をしていた頃、偶然「くるみ」というそれはそれは美味しいお好み焼きやさんのカウンターで偶然隣り合ったことがあるからだ。

 カウンターの隣りでなんだか聞き覚えのある声がすると思ったら馬渕君だった。その時は互いに連れがいたので、挨拶程度で話はほとんどしなかったと思う。

 彼の話し方は昔から独特で(いわゆる演説調)、高校時代は、将来は総理大臣になってこの国を変えると、言っていた。

 その頃、彼は中部電力の社員だった。末は中電の社長になるのではと言われていたものの、中電の社内ベンチャー第一号の社長になってそのビジネスを成功させ、結果、独立して今は、住分野に関するコンサルタント会社のCEOだとのこと。
 彼の現在のプロフィールなどはここをご覧下さい。

 ところで、、昨日、われわれがどんな話をしたのかは、有り難い事に彼が自分のブログで書いてくれたのでこちらを読んで頂くとして、私は30年ぶりにあった馬渕君の表情がとっても温和になっていた事に驚いた。話し方もとってもソフトになっていて、大人になるってこういうことなんだと思った。もちろん、良い意味でだ。

 馬渕君は、高校時代は眼鏡をかけていてその眼鏡の向こうでいつも確固たる信念の炎をめらめらと燃やしているような眼差しをしていた。当時、彼は、1970年代最後の日本の、なんとなくバブルに向かい浮き足立っていく社会や、「しらけ世代」と呼ばれた同世代の若者に苛立っていたのではと思う。

 私はその頃、左翼の友人と、右翼の友人と、ノンボリと、哲学と、詩情と、音楽と、演劇と、受験と、そして見かけだけの抵抗の中にいた。

 どんなに抵抗しようとしても、私たちの思想はまだまだ脆弱で、内実は、自分たちがとっても飼いならされた存在だってことに気づいてもいた。

 そんな中で、馬渕君は60年代安保の人みたいにひとりで抵抗していた。
 彼は、学生運動の人みたいな特徴的な「文字」を書いていた。

 私は私で、バスケット部に属しながら、「ビックリハウス」を読み、松岡正剛さんが作ってた「遊」を読み、「mc sister」にあこがれ、青い恋愛をし、勉強もそっちのけで古本屋に入り浸り、本ばかり読んでいた。
 そして北高の同級生たちと、いろいろな思想や感情がごっちゃになった「エビゾリズム」というフリーペーパーをつくっていた。

 手のひらを青く染めながらボールペン原紙に文字を書き連ね、自分を含めたみんなの思いをひたすら文字にした。馬渕くんや私が幼い頃から通っていた「道場」の輪転機で藁半紙に印刷し、一枚一枚ホッチキスで綴じていった。

 今、こうして書いているとその当時の思い出が蘇ってくる。

 でも、何故か、昨日の私と馬渕君は、まるで30年のブランクが嘘のように互いの「今」と、来る「未来」を語り合った。

 過去ではなく、今、そして未来。

 それは互いが、ずっとそういう人生を選択して歩き続けているからかもしれない。

 私たちは、幼き頃、この国の未来を真剣に想い、世界の平和や、愛や、感謝の大切さを当たり前とし、そのための奉仕を当たり前とするある少し特殊な環境の中にいた。

 私たちは世界は人の想念が創り上げていることを知っていた。

 そんな子供だった私たちが、子供時代に摺り込まれたもろもろの理想と現実との格闘を経て、30年後に出会って対話したこと。対話できたこと。

 馬渕君の目つきや話し方が変わったことは、この30年間という年月とのさまざまな格闘の成果だろう。でもその内面にある彼の精神の在処は、やはり幼い頃と何も変わっていないのだ。

 彼は今も「夢」を持って生きているし、だから私たちは、過去ではなく、未来の話をすることができたのだろう。

 そんな人と再会 し、互いの心持ちの在処が揺らいでいないことを確信できたことは、イコール、自分の精神の在処もまた何も変わっていないことを認識することにもつながった。

 世の中は、ますます混沌としつつあるし、私は、なぜかこの1,2年、ある人から怒られたり、攻撃されたりする目に人生ではじめて遭遇し、こんなに頑張っているのに何故?と、自己否定で落ち込んだこともあったけど、でも、こんなふうに対話できるってことは、自分はやっぱりそんな捨てたもんじゃないじゃん、って思った。

 自分が自分でいられること。
 それで良いって、思えた心地よさ。


 人はそんなに簡単に変わるもんじゃないと思う。良き事は善き心に宿るし、良き行いは善きヴィジョンに支えられて行く。

 そう、自分は、昔から、なにも変わっていない。
 私がめざして来たもの、私が好きだったもの。

 仕事のスキルやキャリアは、経験で上がって行く。だから人を取り巻く環境は変化するけど、その中心にいる「自分」は、ずっと変わらない。

 

 今日、模試を受けたG君も、人生、まだまだこれからだよん。
 みんな〜〜〜〜、頑張ろうね、一緒に。

 

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July 05, 2008

センチネルな人。

 昨日から読んでいた本に、世の中にはびこるさまざまな邪悪なものに対し、こつこつと、ひそかに対抗するセンチネルな人についての話が書かれていた。

 世の中にはびこる邪悪なものはピンからキリまでいろいろあるけど、

  つまるところ、深い意味では、善も悪もないのかもしれない。

 その本性が<ただ、そこに>あるだけ。

 そこから我が身を守る為には、センチネルな人が必要だ。

 
 降り積もる雪の中、淡々と雪かきをする人。
 切り立った崖の手前で、走り来る子供たちをまもる人。

 

 不意に起こる悲劇に対しては、やはり小さな善意と希望を重ねてこつこつと防ぐしかないのだろう。やれやれ。

 久しぶりに春樹さんの「かえるくん、東京を救う」(神の子どもたちはみな踊る)を読みたいと思った。 

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June 23, 2008

新しい月曜日

 いろいろなことがあって、いろいろなことを考えた日曜日を経て、新しい月曜日がやって来た。

 信じていた心のあやうさや、素直な喜びや、笑顔。人間の変化。対してずっと変わらないもの。


 でも結局は、すべて私自身の「問題」なのだ。  
 問い続けるから、答えを求める。
 答えを求めるから、期待と失望が生まれる。

 
 深く関わりのあった人との「別離」を自分の中で整理するとは、つみあげた「時間」をどう消化するのか、ということでもある。

 
 その人間関係の変容のプロセスの中で、「POWER STRUGGLE」を産む。
 そのまっただ中にいる状態で時が過ぎる。
 それは苦しい。なぜなら自分が、ちっとも「前進」しないから。


 例えば理解しあっていると思ってた人が私に酷い事を言うのは、私がいつからか、その人にとっての「POWER STRUGGLE」の対象になったから。
 多分、どこかの時点から私はその人の望む行動をしなくなり、その人の欲求を満たさなくなってしまったことで、私は、その人から投げかけられた「POWER STRUGGLE」に巻き込まれたのだ。

 そして私もまた、知らず知らずのうちに、そんな相手が、自分の望む相手でなくなったことに腹を立て、何故?と問いかけ、私の何が間違っているの?と私の正しさを主張する事での、「POWER STRUGGLE」に参加してしまっていたのだ。

 
 間違いを正すという妙な正義感は、私もまた「POWER STRUGGLE」に参加しているひとりなのだということを、見えなくさせていた。

 

 「POWER STRUGGLE」は、実は、自分自身の内面の葛藤が外に投影されたもの。さまざまな恐れから生まれて、それに参戦している以上、本来の欲求は満たされなくて、実際は内面的な葛藤がどんどんふくらんでいくだけだ。

 
 確かに、先に「POWER STRUGGLE」を私にしかけてきたのは、「あの人」だ。

 でも、そのとき、私が、何故その人がそうまでして私にその闘いをしむけたのかの内面的な葛藤を理解してあげていられたら。。。

 それを理解する深い心と愛情が少しでも私にあれは、私は、その争いに参加することもなく、相手もまた自分の怖れにきちんと向き合い、また違った結果もあったのかと、今、はじめて思った。

 一旦、「POWER STRUGGLE」に参加してしまうと、ひたすら、攻撃と、正当性の主張の応報になる。そこからは何も生まれない。
 大きな大きな内的な葛藤が生まれ続け、鬱になり、生きる喜びがどんどん消失していくだけ。

 苦しみながら、悩みながら、泣きながら、でも、仕事だけはと、めちゃくちゃ頑張ってきた。 だから、精神と身体のバランスが時に大きく崩れてしまった。

 何度も、自分に問いかけ、こころを強くして、持ち直したつもりでリ・スタートを切ったけど、私が「POWER STRUGGLE」に参加している限り、何も前進していなかったことにやっと気づいた。


 もう、「POWER STRUGGLE」には参加しない。

 自分が相手に宣戦布告させてしまった自分の「きざし」を見つめよう。
 それは、私が気づかないうちに自分の内側に閉じ込めてしまった私の古い傷にきちんと対峙して、その傷をちゃんと治癒させ、前に進むことにもなるはずだ。

 さらに期せずして自ら参戦してしまった自分の「今」を見つめよう。
 それは、きっと、長年に渡って蓄積した私の「良くない思考習慣」を見直すことになるはずだ。

 これ以上、自分を責めるのも、もうやめよう。
 そして本来の自分を信じて前に進もう。
 私には、状況に対応できるヴィジョンがあるのだ。
 誠実さ、自由こそが私の好きな私なのだ。

 「天国はふたりづつ入るもの」(a course in miracle)

 そうか、

 人という字も、ふたりの人が支え合っていて出来ている。  


 「POWER STRUGGLE」ではなくて、「LEADERSHIP」。その先にこそ、敏感な受容力と創造性のおもねく豊かな「VISION」がある。


 こころを全面的に私のVISIONに与えよう。

 
 

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