文化・芸術

March 25, 2012

岐阜県と、more treesと。

 

Img_00892

 

 私が3年前に望み、一歩を踏み出したこと。
 それが奇蹟みたいに実現した日。

 誰もそのはじまりが誰かなんて、知らなくても良い。
 でも、それは、
 確かに、3年前のあの瞬間の、
 閃きにも似た私の一歩から、このプロジェクトははじまったんだ。

 私は、その夜、長良川を見ていた。

 金華山は闇に沈み
 月灯りだけが川面をキラキラと照らしていた。
 自転車を片手に右岸道路に佇みながら、
 その時、私は、一ヶ月程前にものすごく無防備に飛び込んだ、
 まったく新しい組織の中で、
 やるべきミッションについて悩み、漠然と考えていた。

 滔々と流れる長良川。

 その源流まで意識を飛ばす。夜の空をぐっと、深く。
 そこにある、森。源流の森。
 すべてがつながっている。

 その時、数ヶ月前に読んだ新聞の特集記事がふわっと浮かんできた。

 その記事は、北海道下川町の森が「more treesの森」第4号に認定され、
 坂本龍一さんが現地を訪れた様子とともに、
 何故、坂本さんが森の再生に取り組んでいるのか、などについて自然体の文体で書かれたインタビュー記事だった。

 坂本さんが(多分朝の)ニューヨークの街並を歩く写真とともに掲載されていて、「エコはファッション」でいい、と見出しにあった。

 その記事を読んだ時、私は、まるでデジャブにも似た、いや、デジャブにしたい気持ちで、
「岐阜にもmore treesの森を!」と想い、

 その場所にいつか、きっと「坂本さんが訪れる日」が来る事をイメージした。

 「もっと、木々を!」

 なんて素敵でシンプルな言葉だろう。

 そう、想い、森の深さ、豊かさ、それが目の前の滔々と流れる長良川につながっていることを、再び全身で感じながら
 自転車を走らせようとしていたその瞬間に、 
 「one more stay,one more trees」
 という言葉が降って来たのだ。

 最初は、岐阜をいつもより1泊多く旅したら、その分、岐阜に木を1本植よう、
 そんなプロジェクトを作ろうと思った。

 でも、よくよく考え、そして調べていくと、植林も大切だけど、
 今、必要なのは間伐すること。。
 その材を、財に変えて、循環させて、
 本物の、持続可能な森、川、海、そして人やあらゆる生き物との循環型社会を
 つくること。。そういうことも実感として分かって来た。

 じゃあ、今、岐阜県の森林行政はどうなっているんだろう。
 私の観光交流事業と結びつけていけるのだろうか・・。

 そんなこんなを考えながら、スタッフにプレゼンし、プロジェクト化にむけて
 試行錯誤の日々。

 それから、3年。
 本当に多くの時間と、スタッフの努力と、多くの人々のつながりと、

 みんなの汗と、思いと、努力が実って、
 岐阜県の加子母と東白川という二つの地域で「more treesの森」が誕生し、
 そして、自然を活用した「都市と森をつなぐ交流モデル」を構築するための
 「連携に関する包括協定」が、一昨日の2012年3月23日、坂本さんをお迎えして、
 岐阜県「more trees」とで締結することができたのだ。

 坂本龍一さんに、岐阜県を見てほしい、知ってほしい。
 more treesが、掲げる理念は、岐阜県でこそ、実践したい。

 そんな気持ちがスタートだったこの一歩。

 そして今、
 もはや私の最初の思いを超えた、多くの人々の理念や、行動の結実としての
 アクションがはじまって、動いている。

 すごい動き、静かだけど、すごいうねり。

 私の最初の思いを遥かに超えた、そんな<現実>が生じている事。
 あらためて、ひとり、静かに、深く、感動する。

 だって、もう知らないところで、本当にいろいろな人々が
 自分のプロジェクト、として、動いて、それが形になっているのだ。
 ほとんど、最初にイメージした通り、いや、もっとそれを超えて。

 すべてが自然に、流れて、つながって、ぶつかったりしながらも
 ベストなタイミングで、ひとつ、ひとつ、
 ひと節、ひと節づつ、まさに年輪みたいに刻まれて行く。

 東白川の森の看板の前では、坂本さんと、村の子供たちが即興的な、音を響かせた。
 そのときの子どもたちは、そのはじまりなんてまったく知らない。
 知らないからこそ、貴重なのだ。

 私は、そう思うだけで胸が篤くなった。

 世界はこうして動いて行く。
 命や、想いは知らないうちに紡がれて行く。

 子どもたちには、でも、あの寒空の中の演奏や、
 どうして今、自分たちがそこにいるのか、について、
 いつか、きっと、その森のめぐみについて
 あの場所で、世界的音楽家が突然のことにも関わらず、マネージャーがさっと差し出したホカロンで指を温めながらトイピアノに真摯に向き合う姿と、ともにした時間について。

Img_01061_2  

 奇蹟のようなこの二日間、その時を
 何故だか、ずっと降り続いた雨や、雹や、寒さの中、
 自宅に戻って、すっかり寝込んでしまった自分の精神と魂と体の声として、

 それは、私だけでなく、そこにいた誰もが、
 きっと、一生、忘れないだろう。

 そして私は、今、想う。
 大好きなメイ・サートンの言葉を。
 「Plant dreaming deep〜夢見つつ、深く植えよ」

 みんな、本当に、ありがとうございました。

| | Comments (9) | TrackBack (0)

November 13, 2011

音に揺れる

7201_3

 10月30日、都ホテルの最上階の天空ステージ「ザ・スカイバンケット」で、
長良川と金華山を背景に、友人のAricoの黄昏ピアノリサイタル
「Arico 長良川を奏でる」
長良川おんぱくの最終イベントとして行われた。

 長良川おんぱくは、岐阜県とおんぱく実行委員会との共催事業で

私もことのほか思い入れの強いものだったし、

 実現できたことが、何より嬉しかった。

 そしてそのエンディングとしてのAricoのピアノは、一音、一音、力強く、
  かつ繊細で、まさにAricoのサウンドそのものだった。

 久しぶりに心が揺れて、揺さぶられ、彼女の世界が自然にすっと広がって、

 長良川や、岐阜の空気、

 会場の人々との透明でクリーンな関係性が詩的に響き合っているようで、
 本当に心地よかった。

 彼女の紡ぎ出す音の世界はとても雄弁だったけど、でも、押しつけがまくない。
 だけど、しっかり自分の音色が立ち上がっていて、美しくて、チャーミングだった。

 背中越しのAricoの演奏を見続けたのは、彼女と出会って10年以上経ったのに
 はじめてだった。
 でも、その背中も良かった。

 

 一期一会の出会いを慈しみ、感謝し、
 音の中で小さな光を紡ぐ彼女の姿は、

 まさにそのためだけにある、という感じで
 まれに見る素晴らしいステージだったと思う。

 私はその中で、沢山の勇気と元気をもらった。

 これが岐阜の、長良川や金華山のマジックかもしれなくても、
 明らかに彼女の変化は前向きで
 私はとても嬉しかった。

 そして幸せだった。

 そんな時間を創造してくれたAricoはもちろん、
 このイベントを支えてくれた、
 全ての人や全ての想いや、それにつながる過去や未来や、
 環境や空間や、すべてのすべてに感謝したいと思った。
 (もちろん、そこに至るすべての私自身の運命の流れも含めて)

 Thanks again,from my heart.

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 18, 2011

瞬間享受性。。

 

2011080921530000

 

 昨日、台風が近づく大雨の中、昔からの友人のディナーライブに行った。

 友人の演奏は良かった。パワフルで。音の響きも。
 でも、何だろう。。。

 いつも、感じる<もの>がない。

 それは私が変わったからなのか? それとも。

 そのディナーライブは、食事も売りで、それなりの値段を出している。
 実は、そのディナーライブの第一回に私は参加した。
 そのときの食事の感動は、今も忘れられない。

 しかし、それも、私が変わったからなのか。
 それから何度となく、美味しいフレンチや、イタリアンや創作料理を口にすることで
 もっともっと世の中に沢山ある、<美味しさ>を知ってしまったからなのか?

 でも、、いつも、私が感じる、味のマジック。
 料理人の<気>のようなもの。

 その料理人に期待した、深い、味わい。

 それがとても単調で、食事をしたあと、帰り道、
 すごくおなかがすいてしまった。
 美味しいものをいただいたときの、あの幸福感、、が足りなかった。

 音楽も同じだった。
 いや、演奏は良かった。でも、何だろう。

 映像が流れていたから?トークが妙に上手になっていたから?
 私の耳や、心や、五感が鈍感になったから?

 私の求めるものが変わったから?

 プロフェッショナルって、何だろう。
 演奏家、って、料理人、って。

 すべてに一期一会の感動を求めるのは、酷なのか。

 でも、私は、アーティストは、いや、Creator には
 一期一会の真剣勝負を求めてしまう。

 あなたの人生のルーティンにお金を払っているんじゃなって
 思ってしまう。

 私は、<作品>を見に来たのに、と言いたくなってしまう。
(それが間違っていたのかもしれないけど)

 厳しいけど、それが、私の今の、Artや、Creativeへのく価値観>なのかもしれない。
 たぶん、以前より、ずっと、その瞬間享受感性の
 ハードルが上がってしまったのだろう。

 そっか。。。きっと、それが
 まったくプライベートのマイナー感覚の、
 My back pagesなのだ。

 Ah, but I was so much older then,I'm younger than that now.

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 29, 2010

久しぶりのドクショタイケン

 このところ時間があるとひたすら本を読み続けている。

 というのは、昔からの知人である編集者のIさんから最近、まとめて何冊も本をプレゼントしていただいたから。

 でも、その少し前に、一冊の本で、これほどの読書体験が出来るんだ、という境地に至った幸福かつ衝撃的な出会いがあった。それが、明治時代の黄檗宗の僧で仏教学者にして探検家でもある河口慧海師「チベット旅行記」だ。

  読み始めて止まらなくなった。眠くても読み続けたかった。ひたすらに読みふけった。魂があるとしたら、心を飛び越えてズドン、とそこを揺さぶられた。

 そんな頃、Iさんが、久しぶりに、本当に久しぶりに私を尋ねてきてくれたのだ。
 まず最初に村上春樹の話をした。「1Q84、読みましたか?」からはじまって、「私は2巻で終わっててほしかった」と言ったら、Iさんも、「僕も多分、そう思う」といった。そして春樹さんの、単行本や全集にも一切収録されていない作品である「街と、その不確かな壁」の話で盛り上がった。この小説を知っているなんて、かなりのものだ、と、Iさんは、珍しく私をほめてくれた。こうして実は、Iさんも私もすごい「ハルキニスト」であることを知ったのだ。

 その後、Iさんは、春樹さんの「我らの時代のフォークロア」が好きだと言った。私は春樹さんの小説は全部、読んでいるつもりだったのに、そのタイトルから物語を思い出せなかった。読んでいない物語もあったんだなぁと自分に驚いた。Iさんは、春樹さんの小説は、ほぼ昔から、初出誌で読んでいるそうだ。 私は大部分、本になってから読んでいる。本でない春樹さんの文章を読んだのは、先ほど述べた「街と、その不確かな壁」と、春樹さんのハーバード大学での講義原稿をインターネットで(しかも春樹さんの肉声入りで!)読んだのと、エルサレムスピーチを新聞で読んだだけかもしれない。だけど、これらをちゃんと読んでいるってのは、「やっぱりかなりのハルキニストだよ」と、Iさんは、再び言った。
 私は、エルサレムスピーチは、日本語と英語、両方で読んだ。両方とも感動した。「壁と卵」「システムと個人」。春樹さんの問題は、常に自分にリンクする、そう直結してしまうのが春樹マジックだ。

 そんなこんなで、私とIさんは、その後も、延々、あの小説はどうだ、こうだ、、という話になって、「じゃあ、東京に戻ったら、「我らの時代のフォークロア」の入っている小説も含めて、本、いろいろ送りますよ」と、言ってくれた。そう言っても本当に送ってくれる人って少ないのに、本当に翌々日には本が届いた。それもドサッと。

 で、私はそれをほぼ、今、全部、完読(なんて言葉があるのだろうか)しつつある。あと、残すところ1冊だ。

 Iさんは、佐藤正午くんの「身の上話」は、すごく面白いですよ、と言った。そしてそれも送ってくれた。その他、私が、最近読んだ本で小池昌代さんの「タタド」が面白かったと言ったら、その作家の長編「転生回遊女」も入れてくれていた。
 「身上話」も「転生回遊女」も読み終えた。「我らの時代のフォークロア」は、読み始めて、過去に読んでいたことに気がついた。あ、そうだった、とあらためておもった。「すべてが終わったあとで、王様も家来もみんな腹を抱えておお笑いしました」、そう、この一文が呪文みたいにリフレインしたとき、ずっと昔の何かがムズムズと動き始めた。

 物語は不思議だ。
 作家が何日も、もしくは何年もかけて書いた文章を、私は数時間で読み終えてしまう。そして心に深く留め置くものもあれば、そのままどこかへと流れて行くものもある。

 でも、不思議なことに、どんな物語でも、紡がれた文字列の中に、生きた映像が見えてくる。音楽や匂いやざらざらとした感触のようなものを感じることすらある。それは私が映画が好きだからかもしれないけれど、書く事と、読む事と映画や映像を見る事なら、何時間でも費やせるその世界体験を子供の頃から、当たり前に消費し続けてきた私は、これがそんなに特別なことだなって一回だって思った事はなかったんだ。
 でも。
 Iさんが、私に言った。「毎日10分は小説の事を考えて、5分は物語を書きなさい」と。
 うん。そうしようと思った。どこにいても、それは出来る。今の私でもそれは出来る。車の中でも、箱の中でも、お風呂の中でも。そして、多分、アノ不確かな街の中でも。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

December 28, 2008

2008年、今年もありがとう

今年もあと4日。

私にとって、今年、2008年は、一生の中でも深く想い出に残る年になりました。
予想もしていなかった(でも予感を抱き続けていた)出来事の中で、私は本当に自分の人生を生きる勇気をもらいました。

多くの人々や、すべての環境に支えられ、生きています。
みんな、ありがとう。

自分に訪れた転機を、きっちり感謝の気持で受け入れて、そしてその光をこころから全身全霊で受け止めたいと思っています。

67億人の中から、見いだしたこと。
行き交う無数の情報の中から、集中して、選択したこと。

星星の瞬きの中で、生きる意味を問い直したこと。

今年、私が何度もひとり、心の中で歌った曲
「ハナミズキ」の、徳永英明&青窈ヴァージョンをみんなに捧げます。

私は、ハナミズキの中でも、このヴァージョンを心から愛しています。
you tubeでこのデュエットを見て、聴いた時、
心の底から感動しました。

それは、何年経っても変わりません。

良かったら、聴いてください。

私をいつも見守って、応援してくれているみんな。

ほんとうにいつもありがとう。

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと止まりますように
君と好きな人が百年続きますように

| | Comments (1) | TrackBack (0)

October 19, 2008

Sunday Holiday

20081001  昨日まで、私が企画制作をつとめている四国、高松の四国民家博物館の秋の特別企画展「形と素型展」の準備のため、四国に出張していた。
 みなで頑張り、なんとかオープンにこぎ着けました。

 みなさん、ありがとうございました&ご苦労様でした。

 昨年の、骨董会のカリスマ(であり私が尊敬する)坂田和實さんによる<民具をアートの視点で見直す>をコンセプトにした第1回企画展「くらしのかたち展」に引き続き、第2回目を迎える今回は、<民具をデザインの視点から見直す>をテーマに、折形研究所主宰で、グラフックデザイナーの山口信博さんと、デザイン評論家の羽原肅郎先生を企画ディレクターの迎え、かなりオリジナルな企画展になったと思います。

 詳細はここをご覧下さい。

 凛として、深々とした、よい展示になっています。ぜひ、お時間、ある方、ご覧下さい。
 決して損はさせません。

 そんなわけで、忙しくしていた日々だったのですが、今日は久しぶりの休日。

 天気も良いし、何もしないでいよう!と思いつつもそんな訳にも行かず。。

 午前中はメールを送ったりと朝から集中して仕事をこなし、その後、BSで米大リーグのアメリカン・リーグ優勝決定シリーズBoston Red Soxと、 Tampa Bay Rays 試合を見た。
 今までは取り立てて関心がある方ではなかったのだが、ふとしたきっかけで見るようになった。今では、Red Soxの松坂岡島、そしてRaysの岩村の活躍を見ているだけでも面白く、ドキドキ、ハラハラしながらライブ中継を見ていると、これがなかなか面白いのだ。

 私は今は、Red Soxを応援しているのだけれど、でも、対するRaysの岩村も、結構良いんですよね。表情もプレイも、本当に日本のサムライみたいで。。。

 海外で頑張っている日本人はみな、素敵です。もちろん、国内でも頑張っている人は素敵ですけど。。

 その後、部屋の掃除をしていたら、昔、購入していた毛糸がそのままになっていることに気づき、久しぶりに毛糸玉にしておこうと、くりくりやりはじめたら、これが、久しぶりなので、絡まって、絡まりまくって大変なことになってしまった。

 やっぱり物事は、はじめが肝心。最初をはしょると、結果、大変な事になるっていう見本みたいなことになった。

 絡まった毛糸ってどういう状態か、想像できる人はいるだろうか。
 (手芸をやる人は分かると思うけど)しかも、これは、極細糸だったのだ。
 でも、私はなぜか毛糸に関しては絡まったものをそのままにしておけないタチなのである。
 絡まった人間関係をそのままにしておけないと同様に(しばしば、そのままでしかいられない場合もあるけれども)。

 ということで、野球を見終わって、本当ならのんびり過ごすはずだった日曜の秋の午後、ほとんどの時間を費やして、絡まった毛糸の糸ほどきにあたってしまった。

 絡まった糸と糸の間を丁寧にほどき、丸めて行く。
 無心に、集中する。
 イライラしたらおしまいだ。
 結局、自らが招いたことなんだし。

 まるでアイスランドの先端の岬でかすかに吠える犬の紐を辿り、辿って
 探し続けているような気持で、
 気が遠くなるような膨大な毛糸のもじゃもじゃを
 整え、整え、ひたすら巻き続けた。

 そして、出来上がった毛糸玉がこれ。
0141
 最初、部屋中に蜘蛛の巣みたいに広がっていた(ちょっと大袈裟かもしれないが一時はそんな気分だったのだ)毛糸が、こんな小さくまとまってしまった。。

  一瞬、この小さき毛糸玉のために何時間も費やしたのかと思わないでもなかったけれど、
  でも、私は、満足だった。
  いや、逆に、すごくハッピーだった。

  最近、ほとんどお酒が飲めなくなってしまったけれど、もし今が夏だったら、冷たいビールで乾杯したい気分だった。

 そして次の瞬間、はたと気づいた。
 この毛糸で何を編むのか。
 そしてそんな時間が果たして私にはあるのだろうかってことを。



 
 

| | Comments (2) | TrackBack (0)

August 29, 2008

NYIGF2008だより(2)

 みなさん、こんにちわ。
 毎日、NYからのレポートを書こう!なんて最初は思っていたのですが、実際、フェアに突入してしまうと、日々、忙しくてそんな余裕なんて、ぜんぜんありませんでした。

 ごめんなさい!!

 ということで、無事、フェアを終えて帰国しました。
 今回は、ほんとうにいろいろなことを考えた一週間でした。

P1010619 P1010618 P1010625









 

 アメリカの市場は、明らかに下り坂傾向にあるようですが、でも、その中でも頑張っている人は頑張っているし、やっぱりどんな状況になっても、最終的には「人」が重要。

P1010616

P1010620

P1010622

 

 今回、はじめてSMPさんとのNYIGFをご一緒させていただいて、昨年は気づかなかった新たな経験を沢山させていただきました。

 
 例えば、ブース内でのSMPのみなさんの動き、それに比例して流れるように動く、バイヤーの動きなどから学ぶ事が多かったです。

 

美濃手漉き和紙/「a piece of natural paper」への反応は、昨年同様、一様に「美しい!」と言っていただきましたが、その後の購入に結びつくワンステップ、ツーステップ、 長年、手漉き和紙の仕事に関わってきて、いろいろなものづくりをしてきた中で、足りなかったものに気づきました。


 
毎日、SMPさんの大ヒット商品である「message bean」 を手に取るバイヤーのみなさんの表情を見ていて分かったこと。。。

 
ほころぶ笑顔。驚き。そこから彼女たちがイメージするもの。

 
そこには、
 
暮らしの中での<人を幸せにする商品、デザイン>
 
別の言葉で言えば、<小さな幸せのおすそわけ>と、
 
<ふとした笑みがこぼれるユーモア> があるのです。

 
これが今、とても大切なことだと思いました。

 時代がますます混沌としていくからこそ、 
 社会がますます問題を孕んでいくからこそ、
 
人と人、人とモノ、人と世界をつなぐ仕事をしている私達は、
 
もっとシンプルに、人間のこころに届く
 
本物のものづくりや、ことづくり、コミュニケーションを 
 行う必要があるのだということ

 
そんな、ささやかだけど、とっても大切な発見に結びついた、今年のNYIGF。

 次回、若干、番外編を書きたいと思います。

 みなさん、ほんとうに、お世話になりました〜。

 今回、沢山の、良い出会いをいただきました。
 感謝、感謝ですhappy01

 では〜。また!

| | Comments (1) | TrackBack (0)

July 23, 2008

梅田ロフトで美濃手漉き和紙を販売中!

 先日、大阪梅田ロフトに、私が商品ディレクターをしている家田紙工の美濃手漉き和紙の新シリーズ「a piece of natural paper」を中心とした1/100ブランドグッスの数々を納品に行ってきました。
 これが完成した展示風景。。

Dsc02334   今回は、梅田ロフトでのはじめての家田紙工グッズの企画展示で、しかも場所がロフトの正面玄関口から入ってすぐのとっても目立つ場所!

  夏らしい季節もののコーナーということで、、私と、4月から新しく家田紙工の社員になった小里さんというニューフェイスと共に行ってきました。

  梅田ロフトさんとは、2月のギフトショーで文具担当の小山さんという方にはじめてお会いして、意気投合(私が勝手にそう思ってるかな?)し、今回、小山さんが気を利かせてくださって、1階フロアーの担当者である柏木さんという方に話をしてくださり、この夏の企画として実現しましたhappy02

 この美濃透かし手漉き和紙シリーズは、とにかく私の思い入れがたくさん、たくさんつまった商材です。一昨年の冬から企画をしはじめ、丁寧に作り込んできたものです。

 今はそれぞれ別の道を歩んでいる家田紙工の2名の女性スタッフとのチームでプロジェクトを組み、「ひたすらオーガニックにこだわった」「インテリアにも利用できる」「捨てる所の無い」「ここにしかない」「おしゃれな」「布のように使える」和紙グッズを作る事。。。

 たくさんの紆余曲折を経て出来上がり、以前も家田紙工のブログで書きましたが、昨年のニューヨークギフトフェアで世界デビュー(?)し、そののち、2月の東京ギフトショーで国内初デビューを果たしました。

 でも、本当はその前に、RARI YOSHIO  さんの東京の個展などでの発表が先だったのですが、ここでも有り難い事に大好評で(南青山スパイラルでは完売したそうです)、、でも、大
阪は初デビュー。。。

 今回の「a piece of natural paper」シリーズには、作家の宇津木哲子さんの新シリーズ「in the forest」も加わりました!

 そのほか、1/100ブランドを立ち上げた時、一番コラボレーションした、宮田香里さんの和紙便箋、ノートなどのステーショナリーや、デザイナーの羽良多平吉さんやフォトグラファーの四宮孝仁さんの手漉き和紙行灯などのさまざまな和紙グッズとともにお目見えですが、果たして、大阪のお客様に受け入れていただけるかどうか、どきどきです。(大阪の皆さん!ぜひ、よろしくお願いします〜)

 展示替えは、夜6時頃から(まだ、お店が開いている中)はじまり、私たちは8時すぎまでお手伝いして一路、岐阜に戻りました。

 そのあとは、担当の柏木課長さんが、しっかり仕上げてくださいましたhappy01

 みなさん、大阪にお立寄の際は、ぜひ、梅田ロフトに足を運んでください。8月中旬頃まで展示販売しています〜。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

July 06, 2008

変わらない自分!

 一昨日、高校時代の同級生の馬渕裕嘉志君に20年以上ぶりに再会し、約2時間、さまざまな話をした。

 こんなふうにじっくり話をしたのは、、多分、高校卒業以来だろう。
 高校卒業といっても、馬渕君と同じクラスだったのは高校2年の頃で、3年の前期、一緒に生徒会役員をやって岐阜北高校の改革をしようなんて話し合っていた記憶があるけれど、その後はほとんど話をしなかった。
 17歳からほとんど話をしていないとうことは、、、なんと30年ぶりの対話、、ということになる。

 ちなみに、おおよそ20年振りの再会、、というのは、20年以上前、私が名古屋の中日スポーツの記者の仕事をしていた頃、偶然「くるみ」というそれはそれは美味しいお好み焼きやさんのカウンターで偶然隣り合ったことがあるからだ。

 カウンターの隣りでなんだか聞き覚えのある声がすると思ったら馬渕君だった。その時は互いに連れがいたので、挨拶程度で話はほとんどしなかったと思う。

 彼の話し方は昔から独特で(いわゆる演説調)、高校時代は、将来は総理大臣になってこの国を変えると、言っていた。

 その頃、彼は中部電力の社員だった。末は中電の社長になるのではと言われていたものの、中電の社内ベンチャー第一号の社長になってそのビジネスを成功させ、結果、独立して今は、住分野に関するコンサルタント会社のCEOだとのこと。
 彼の現在のプロフィールなどはここをご覧下さい。

 ところで、、昨日、われわれがどんな話をしたのかは、有り難い事に彼が自分のブログで書いてくれたのでこちらを読んで頂くとして、私は30年ぶりにあった馬渕君の表情がとっても温和になっていた事に驚いた。話し方もとってもソフトになっていて、大人になるってこういうことなんだと思った。もちろん、良い意味でだ。

 馬渕君は、高校時代は眼鏡をかけていてその眼鏡の向こうでいつも確固たる信念の炎をめらめらと燃やしているような眼差しをしていた。当時、彼は、1970年代最後の日本の、なんとなくバブルに向かい浮き足立っていく社会や、「しらけ世代」と呼ばれた同世代の若者に苛立っていたのではと思う。

 私はその頃、左翼の友人と、右翼の友人と、ノンボリと、哲学と、詩情と、音楽と、演劇と、受験と、そして見かけだけの抵抗の中にいた。

 どんなに抵抗しようとしても、私たちの思想はまだまだ脆弱で、内実は、自分たちがとっても飼いならされた存在だってことに気づいてもいた。

 そんな中で、馬渕君は60年代安保の人みたいにひとりで抵抗していた。
 彼は、学生運動の人みたいな特徴的な「文字」を書いていた。

 私は私で、バスケット部に属しながら、「ビックリハウス」を読み、松岡正剛さんが作ってた「遊」を読み、「mc sister」にあこがれ、青い恋愛をし、勉強もそっちのけで古本屋に入り浸り、本ばかり読んでいた。
 そして北高の同級生たちと、いろいろな思想や感情がごっちゃになった「エビゾリズム」というフリーペーパーをつくっていた。

 手のひらを青く染めながらボールペン原紙に文字を書き連ね、自分を含めたみんなの思いをひたすら文字にした。馬渕くんや私が幼い頃から通っていた「道場」の輪転機で藁半紙に印刷し、一枚一枚ホッチキスで綴じていった。

 今、こうして書いているとその当時の思い出が蘇ってくる。

 でも、何故か、昨日の私と馬渕君は、まるで30年のブランクが嘘のように互いの「今」と、来る「未来」を語り合った。

 過去ではなく、今、そして未来。

 それは互いが、ずっとそういう人生を選択して歩き続けているからかもしれない。

 私たちは、幼き頃、この国の未来を真剣に想い、世界の平和や、愛や、感謝の大切さを当たり前とし、そのための奉仕を当たり前とするある少し特殊な環境の中にいた。

 私たちは世界は人の想念が創り上げていることを知っていた。

 そんな子供だった私たちが、子供時代に摺り込まれたもろもろの理想と現実との格闘を経て、30年後に出会って対話したこと。対話できたこと。

 馬渕君の目つきや話し方が変わったことは、この30年間という年月とのさまざまな格闘の成果だろう。でもその内面にある彼の精神の在処は、やはり幼い頃と何も変わっていないのだ。

 彼は今も「夢」を持って生きているし、だから私たちは、過去ではなく、未来の話をすることができたのだろう。

 そんな人と再会 し、互いの心持ちの在処が揺らいでいないことを確信できたことは、イコール、自分の精神の在処もまた何も変わっていないことを認識することにもつながった。

 世の中は、ますます混沌としつつあるし、私は、なぜかこの1,2年、ある人から怒られたり、攻撃されたりする目に人生ではじめて遭遇し、こんなに頑張っているのに何故?と、自己否定で落ち込んだこともあったけど、でも、こんなふうに対話できるってことは、自分はやっぱりそんな捨てたもんじゃないじゃん、って思った。

 自分が自分でいられること。
 それで良いって、思えた心地よさ。


 人はそんなに簡単に変わるもんじゃないと思う。良き事は善き心に宿るし、良き行いは善きヴィジョンに支えられて行く。

 そう、自分は、昔から、なにも変わっていない。
 私がめざして来たもの、私が好きだったもの。

 仕事のスキルやキャリアは、経験で上がって行く。だから人を取り巻く環境は変化するけど、その中心にいる「自分」は、ずっと変わらない。

 

 今日、模試を受けたG君も、人生、まだまだこれからだよん。
 みんな〜〜〜〜、頑張ろうね、一緒に。

 

| | Comments (2) | TrackBack (0)

April 07, 2008

ギャルリももぐさ〜しろ いずる 白

 先月、久しぶりに多治見の「ギャルリももぐさ」に行って、「古道具坂田展」を拝見に行ってきた。

 ももぐさの安藤雅信明子夫妻とも、もう7〜8年の付き合いになる。

 そして、今回の企画展の企画出品者である「古道具坂田」の店主、坂田和實さんは、昨年、四国、高松の四国村での、民具の企画展をお願いして、ご一緒して以来、私がもっとも尊敬する大人の一人。

 もう20年以上前に,目白にある「古道具坂田」にお邪魔して以来、ずっとあこがれ、いつか、一緒にお仕事ができたら、、と願ってきた人だ。

 そして私がいつか、坂田さんにふさわしい人間に(当時は、あんな大人になりたいと、思っていた)近づいた時に、きっとご一緒できるのでは、、と思って来た。

 そして20年。
 昨年は、その夢がひとつ実現した。

 でもでも、私は坂田さんのところでは、ほとんど買い物をしたことがない悪い(?)お客さんだった。
 だからという訳ではないのだが、「ももぐさ」で、やっと坂田グッズを購入することができたのだ。

 
 一目見て気に入った、坂田チョイスの「くらわんか手白磁皿4枚セット」
 こんなパッケージです。ももぐさのセンスが生きています。

0001

順々に丁寧に、包みをひらいていきます。

0002

どう??

0003
4枚がお目見え。江戸後期、、ということだが。
すごくモダンです。
0004

ちょっとクルミとか入れてみました。。。

0006

 いかがでしょうか???

 私にとっては、この白磁皿は、骨董というよりも、

 例えばルーシー・リーや、
 部屋の片隅でいつも私を見てくれている、
 リサ・ラーソンのブルテリア犬の「白」(勝手に名付けている)や(他の犬では駄目なんです)、
0009

こちらも私の部屋を彩っている篠原芳子さんの作品(和紙の積層で出来ている:写真が悪くてごめんなさい)の「白」
0008

に通じる、ホワイト オン ホワイト の「アート」でもあるのです。

| | Comments (2) | TrackBack (0)